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つくりものがたり

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2012年 10月 24日

幸福のイメージ




あれはもう、4年前の6月のことになります。

ちょうど当時住んでいたアパートの近くによい土地が見つかって、
いま住んでいる家を建てているときで、
設計の森さんに頼んで、造り付けの家具のたくさんはいった図面を書いてもらい、
すべての家具と建具を自分でつくるんだと意気込んで、
毎日寝不足気味になりながら、一銭のお金にもならない家具を躍起になってつくっていました。

その日も夜おそく、家族はもう寝てしまって真っ暗なアパートの部屋に帰ってきて、
用意してあった夕食をかきこんで、さっさと寝てしまおうといそいで皿を洗ってる時です。
急に心臓の鼓動が不規則になりました。

自分にはもともとなにかの拍子で頻脈になる持病があって、
その頻脈はしばらく横になって安静にしていれば、必ず元の脈に戻っていたのですが、
そのときの心臓の動きは完全に不規則でリズムがばらばら、鼓動も弱くたよりなげです。
あとでわかったのですが、心房細動という不整脈でした。

夜中の2時を回っていました。
ちょっとおかしいなとは思いながら、しばらくじっとしていたり、顔を洗ったり、していました。
風呂にはいって体を温めたら元に戻るだろうと風呂にもはいりましたが治りません。

洗面所の鏡を見ながら、だんだんいやーな感じがしてきました。
そのいやーな感じは、ほんとに二度と経験したくないような、いやーな感じなんです。
その感じの中で、これが止まらなければ、自分は死ぬんだと思いました。
はじめて、そう思った後は、恐怖がやってくるのに時間はかかりませんでした。
とりあえずお金と免許証を持って家族を起こさないように部屋を出て車に飛び乗り、
藤沢市民病院の救急センターに車を駐車場へも入れずに横づけして駆け込みました。


長くなってきたのではしょります。
最初点滴で元に戻そうとしましたがだめだったので、結局、除細動器で電気ショックを心臓にかけて元に戻しました。
除細動器は、意識が覚醒しているときはショック症状を起こす危険があるので、麻酔をかける必要があり、
午前4時過ぎに看護婦さんが家族に電話をかけて家族みんなが呼び出されました。
さんざんな夜でした。


心房細動というのは人が老いてくると現れる症状で珍しいものではないのですが、
危険であることは確かで、先生の話によると、二日間放置すると血栓が脳に回って、脳梗塞を引き起こすらしい。
その夜の後、2か月かけてとりあえず必要な家の家具を全部つくり終え、新しい家に引っ越してすぐに、
横浜市大病院で心臓のカテーテル手術を受け、問題のある不整脈は完治しました。

いまはなんともありません。
心臓は健康な人でも期外収縮といって一瞬から数秒、リズムがおかしくなることがあるものですが、
そのていどのことで、不整脈になることはなくなりました。
普段はそんなこと忘れていますが、それでも自分はこころのどこかで、
あの夜の、鏡の前でやってきたあのたまらなくいやーな感じと、そのあとの恐怖とを、
忘れることができないでいるのだと思います。
あのただなかで、死ぬのはいやだと思うんです。


ひとは必ず死ぬ。
その日のことを考える。
もしかしたら堪えがたい苦痛の中にいるのかもしれないけれど、
その時自分は、自分がいなくなった後もおそらく同じようにつづいてゆくこの世界に、
しずかな気持ちでさようならが言えるだろうか。
自分がいなくなった後も生きてゆく、親しい人たちのしあわせを願いながら、行くことができるだろうか。
その日がいつ来ようとも、
それができるためには、自分の中に深い納得がなければならないような気がします。
自分がこれまで、このように生きてきたことについて、このようにしか生きてこれなかったことについて。

ひとは幸福になるために生きてゆくのだと言われます。
でも幸福ってなんなのかよくわかりません。
僕の場合は、その日が突然やってきても、なにかに感謝するようなしずかな気持ちで旅立ってゆけるように、
そういう意持ちになれる深い納得が生まれるようにいまを生きるということが、
ただひとつたしかに言える幸福というものであるようです。





by kobo-tan | 2012-10-24 19:07 | つぶやき


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