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つくりものがたり

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2014年 01月 10日

ふたつのお話




Facebookへの投稿記事です。



20代の頃から勝手に一方的に師とお慕い申し上げている山田太一さんのお話が昨日の朝日に載っていました。長くそういうふうに思っていると、これはあの方にはどう見えるだろうか、これについてはどう考えられるだろうかと、知らず知らずのうちに氏の視点でものを見ているようになり、自分の見かたと区別がつかなくなり、もうそれが自分の考え方になってしまうというか、氏の言葉を使わなければ自分の考えを話すことができなくなってしまったという気がする。そういうふうにして人間は何かを継承していくものなのかもしれません。

鹿島さんもやはり朝日のコラムで知り、「セックスレス亡国論」という新書を読んでおおいに共感しました。僕も経験あるけども、「婚活」っぽい気持ちがどこかにあると、構えてしまってだめなんですよね。鹿島さんがおっしゃるように目的が露骨すぎるから。同性異性を問わず、人と人なんてやはりまず相手に興味を持って、友達になって、いろんなことを話して、やさしさを伝えて、だんだんに好きになっていくもんですもんね。やさしさが伝わればひとはかならず好きになるものですから。

というわけで、読みごたえあるお話ふたつです。



■「絆」より悲しみが人を潤す 小説家、脚本家・山田太一さん

 1977年に放映されたテレビドラマ「岸辺のアルバム」は、核家族化が進み、都心に一戸建てがどんどんと建ち始めた時代の物語でした。外からはきれいに見える平凡な4人家族ですが、内情をみると、バラバラになってしまっている。身も心も会社に捧げる父。孤独を不倫で癒やす母。レイプされて妊娠し、堕胎した姉。国広富之さんが演じる高校生の長男が、それでも問題がなかったように振る舞う欺瞞(ぎまん)だらけの家族に耐えきれず、声高に非難します。

 今はそんな高校生はいないよ、という時代になりました。子どもも情報が多く訳知りにもなり、日常を保証してくれる親に、その生き方を問うような反発はしなくなっているのでしょう。親も子どもの扱いが上手になり、なるべく衝突を避けがちです。お互い本当はどう思っているかが、分かりにくくなって、上っ面で生きている気がします。

 社会全体も70年近く戦争をしないでやってきて、それは何度強調しても足りないくらいすばらしいことですが、戦争の実際を知らない人が大半になり、いざ戦争になったらどういうことになるのかの想像が甘くなってはいないでしょうか。敵はこちら側の人間なら誰彼かまわず、憎しみをみなぎらせて一人残らず殺して当然と向かってくるのですから、その戦いの中での敵と味方と自分を含めた人間の弱さ、醜さ、怖さは平和時の想像を軽く超えてしまいます。

 無論、そういう時代だからこその美しい話も生まれるのでしょうが、それはもうほんの一握りといっていいでしょう。

 そのように時代の局面が変われば、どっと噴き出してくるマイナスを「まさか」と思っているうちに、もうそのただ中にいるということがないとはいえない、という不安があります。東日本大震災の翌日だったでしょうか。近所のスーパーに行ったら、がらがらの棚があちこちにあって、はじめは意味がわかりませんでした。

 「ああ、あの津波の光景をテレビで見て、すぐ食料品や日用品の確保に走った人がこんなにもいたのか」と、自分の甘さ、呑気(のんき)さを思い知りました。すぐに、食料の心配がないことがわかり、被災した人たちの役に立ちたいという感情が広がり、「絆」という言葉がキーワードになっていきましたが、「絆」というのは「少し大げさではないか」と感じました。

 「絆」を辞書であたると、「人と人との断ち難い結びつき」とあり、「例えば、夫婦の」というような用例があり、それを被災した人と、そうではない人との間の言葉に使うとかえって空疎な言葉として被災者に届くではないか、と気がかりでした。本当の苦しみと悲しみは当事者が生きる他はないのですから。とはいえ、被災者が「絆」に文句をつけるわけにもいかないでしょうから、結構流通してしまいました。

 このごろ、とりあえず、ぴったりとした言葉がないので使っているのだろうと思う言葉が、結構本心なのだと知って、底の浅さを感じます。スポーツ選手が多くの人に勇気を与えたいとか、観客が勇気をもらいましたとか。

 今の社会は「本当」のマイナスとは向き合わず、プラスの明るさだけを求めている気がします。テクノロジーの進歩がマイナスの排除に拍車をかけている。社会を効率化し、洗練させることを永続的に追求しようとする動きです。

 世間でマイナスと判断されるものには、実は人間を潤している部分がいっぱいあると思います。人生でも悲しかったり、つらかったりする思い出の方をずっと細かく覚えているものです。リストラに直面しているサラリーマンたちは宿命や限界に鍛えられている側面もある。災害や病気を経験している人とそうでない人とでは、人間の差が生じていると思います。

 急行電車に乗っていると、止まらない駅のホームにぽつんと男がいて、「あれは自分だと思った」という内容の詩がありましたが、ぼくは、各駅停車の駅にいる人が、豊かでかっこよく見える。そうやって、時間の遅さをあえて拾っていくべきではないかと。マイナスと一緒に生きることを自然に受け入れている人の新しい魅力を書いてみたいと思っています。

 (聞き手・古屋聡一)

     *

 やまだたいち 34年生まれ。「ふぞろいの林檎(りんご)たち」など数多くのドラマの脚本を執筆。「異人たちとの夏」「空也上人がいた」など小説作品も多数。

 ■抱き合えよ、出会えよ男女 フランス文学者・鹿島茂さん

 最近、週刊誌が高齢の読者を対象としたセックス特集をよく組んでいますね。あれは、長寿になって人生が20年ほど後ろ倒しになったからでしょう。人口の多い団塊の世代が、定年を迎えてもまだ元気でヒマを持て余しています。

 この世代は、「好きでもない相手と結婚させられた」という被害意識を持っている人も多いはずです。昔は、特に大きな会社だと独身を貫くのは大変でしたから。結婚が社会的な信用につながり、独身者には海外赴任させない圧力まであった。短大卒の女性を採用していたのも、お嫁さん候補だったからです。会社が結婚を奨励する機能を果たしていたのです。

 いま人生の終盤にさしかかり、これでよかったのかと焦り始めた人もいるわけです。でも実害はありませんから、放っておけばいいんです。現代を「男と女」という視点からみるとき、危機的なのはむしろ若い世代です。異性と付き合った経験も恋人もいない若者が増えている。これは深刻です。確実に少子化が進み、人口がさらに減るわけですから。

 フランスの家族人類学者トッドが世界の家族を分析し、日本や韓国、ドイツは直系家族(権威主義家族)型、イングランドや仏北部は核家族型と分類しています。直系家族型は親が子に権威的で、子の1人と同居する。核家族型は成人した子は親元を離れ独立する。

 これを僕は、男女関係に広げて考えたんです。直系家族型の日本は、親に任せておけば結婚相手を決めてくれた。しかし核家族型は親が関知せず、自助努力で相手を見つける必要があった。だから自分で相手を見つけるための様々な仕組みや文化が生まれ、恋愛に向いた社会になったのだと。

 その最先端がイングランドでした。19世紀初めに、結婚前の男女が一緒にピクニックに行く姿を見て驚いた、と政治学者トクビルが書き留めています。

 やがて、この核家族型の価値観が米国に渡った。そしてハリウッド映画が隆盛期を迎えた1920年代以降、この恋愛結婚イデオロギーが銀幕を通じて世界中に拡散していったのです。ハリウッドが果たした役割はとても大きい。

 日本も戦後、米国に占領されてこの価値観を受け入れました。恋愛結婚至上主義の到来です。問題の根源はここにあります。直系家族型でありながら、形だけは核家族型を導入したことです。

 家族構造こそが社会の価値観を決める、というのがトッドの主張です。社会は一朝一夕には変わらない。かつて恋愛装置でもあった会社もその機能を失いました。装置が不十分なまま、日本は恋愛の自由競争社会に突入したのです。相手が見つからない人が増えたのは当然の結果です。日本や韓国、ドイツなど、少子化しているのは直系家族型の国々です。

 反対に核家族型の国々、たとえばフランスでは社会は何でも男女カップルが前提です。レストランでも独りでは入りにくい。日本には独りで入れる飲食店が山のようにありますが。男女の距離感も違います。触れあったりハグしたりは当たり前。これを日本でやったらセクハラになりますよ。しかも日本のように大事な思春期に男子校、女子校に通学していたら、異性と自然に会話する力も育たない。異性の気を引くことができるのはフレンドリーであること、つまり会話する能力だというのに。

 まずは、男女共学を義務化することだと思います。舞踏会のような出会いの場も必要です。サルサでも盆踊りでもいい。とにかく出会った男女が抱き合って楽しむ場を制度化する。昔の社内運動会で社員がカップルでゴールイン!なんてやっていたのも、ある意味この制度化だったわけですよ。

 いわゆる婚活には致命的な欠陥があります。目的が露骨すぎる。参加しようかなという段階で、すでに心理的なハードルが生まれます。舞踏会だったら「踊るのが楽しいから」って参加できる。人間には口実が必要なんです。

 最小努力で最大利益を得ようと行動するのが人間でもある。放っておいたら、恋愛なんて面倒臭いことはやめて漫画やゲームに没頭するオタクが増えていくでしょう。それが本人にとって幸せなら、誰も何も言えないわけではありますが。

 (聞き手・萩一晶)

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 かしましげる 49年生まれ。明治大学教授。専門は19世紀フランス。著書に「馬車が買いたい!」「職業別パリ風俗」「セックスレス亡国論」など。


by kobo-tan | 2014-01-10 15:57 | ものがたり


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