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2013年 06月 18日 ( 1 )


2013年 06月 18日

Kさんへの手紙    カネミ油症 ~ 水俣

前回紹介したETV特集「毒と命~カネミ油症 母と子の記録」のとても真摯な感想を、FB友達のKさんがFB
のコメント欄に書いてくれて、その中に「下田さんの『生きる力』のようなものに深い感銘を受けました」という言
葉があった。ぼくもそれはとても感じていたので、それについて思うことをコメント欄に書いたのだけど、それは
長い手紙のようになってしまった。

それをこちらにも転載します。



          ■                                        ■


Kさんが、下田さんの「生きる力」とおっしゃったので、少し長い話になるかもしれませんがちょっと書きます
ね。時間のある時にゆっくり読んでください。


ぼくが最初にそういうことを感じたのは5年ほど前に岩波新書の「証言 水俣病」という本を読んだ時でした。こ
れは、1995年に開かれた「東京・水俣展」という催しで、水俣病の患者さんや家族を失くされた方たちが、東
京で来場者に講演をされたそのお話を記録したものなんですが、このときまでぼくは出身者だったけどあまり
詳しい経緯は知らなかった。それで、身近で起きたことで、ぼくらも全く関係がないわけじゃないのだから(父
は定年前、補償関係の仕事をしていました)きちんと知っとかなきゃと思って読んだわけです。本の最初に下
田(旧姓田中)綾子さんという方の(この方も発病されたのですが、認定申請を3度棄却されています)お話が
あって、1956年に発病した、その当時5歳だった幼い妹の田中静子さんの話をされるんです。静子さんは人
懐っこくてみんなに好かれる子どもだったのですが、ある日の夕飯の時に急にご飯を落としたり、皿を落とした
りするんです。翌朝はそれがもっとひどくなり、足がもつれて歩けなくなって、よくしゃべれなくなる。そして4日
目には目が痛いと泣き出して目が見えなくなる。手が麻痺して靴もはけなくなる、それでこれはおかしいという
ことでチッソの付属病院につれていく。

8日後には末の妹の実子さんも発病して附属病院長だった細川一医師が異変に気付いて水俣保健所に届け
出たのが水俣病の公式発見ということになってるんですが、その、最初に発病した静子ちゃんは入院後も苦
しみつづけて、(劇症型)2年半後に亡くなります。その間には、奇病ということですから、伝染病かもわからな
いし、差別がはじまって、病院で介護もしなければならない、もう大変な中で苦しんで亡くなっていくんですね。
それを読んだとき、ちょうど末っ子が生まれて間もない時だったので、もし自分の娘が同じようになったらと思
ったらもう辛くなって、ほんとうに泣きました。静子ちゃんは、だってなんにも悪いことしてないんですから。どう
してこんな目に遭わなきゃいけなかったんだ、と思ったらほんとに泣くしかない。

でもそれを話される下田綾子さんのお話が、もうずいぶん長い年月がたっていますから、といっても、実子さ
んの介護はずっと(いまでも!)続いていますから大変ではあるはずなのですが、怒りとか、悔しさとか、あま
りそういうものは表に出なくて、淡々として、それでも静子ちゃんのことなんかはまるで昨日のことのように、ひ
とつの物語のように話されるんですね。だから余計に悲しみが湧きあがるという感じなんです。


下田さん、もちろん他にもたくさんいらっしゃいますが、カネミ油症の下田さんもそう、それから、枯葉剤の被害
にあって普通の体でなく生まれたベトナムの方たち、また、米兵の子息の方で、同じように障害を持って生ま
れたへザーさんのような方々、これらのかたたちはみんな(なんの理由もなく!)一生涯続く苦しみを背負わさ
れて、じゅうぶん苦しんで、それでも生きていく決意をされた方たちです。こころの中でどれほどの戦いをされ
てきたか想像することすらぼくにはできない。一方で、うつ病になったり自殺される方は以前も今も変わらず多
くおられる。また一方には苦しみを背負って生きていこうとされる方もたくさんいらっしゃいます。そういう方々
を見てると、正気である限り人間は、生きてゆこうとする、そういう存在なんだなあと思うんです。


先年亡くなられた水俣病の語り部だった杉本栄子さんは晩年、自分の得た病を「のさり」(天から与えられたも
の)とさえおっしゃいました。また、アウシュビッツから生還したビクトル・フランクル博士は「それでも人生にイ
エスという」という講演をされた。そうやって生きてゆく決意をされた方々は怒りや憎しみといった気持が何か
別のものに変わってゆくようです。その一生をかけた精神のドラマに対して、なんというんでしょうか、ぼくら
は、関係ないではすまないんじゃないかって、そういうことを何も知らず、のうのうと安逸を享受して老いるだけ
ではあまりに浅はかではないかって、ものすごく思うようになりました。


ひとつ言い添えると、はじめの方に書いた、水俣附属病院長だった細川一医師はネコ実験などを通してかな
り最初の段階で水俣病の原因を工場廃液とつきとめ、会社に進言されたりした方ですが、その後チッソ附属
病院から四国の方の病院に移られて、1970年に肺がんで亡くなられるんですが、亡くなる前に水俣病裁判
で、真実の(会社には不利になる)証言をされて、それから亡くなられるんですね。そして彼は亡くなられる前
に、キリスト教に入信しているんです。これはやはり、会社内部の立場だったためにけっきょく自分の力で排
水を止めさせることができなかったこと、そのために被害が広がり、多くの方々を苦しめることになったことを
亡くなる前に神の前で悔いられたんだと思うんです。14年間、細川さんはその思いを持ち続けられたんだろう
と思います。


下田さんの「生きる力」という言葉から思い浮かんだことを、長くなってしまいましたが、書きました。なにかが
伝わったとしたらうれしいです。これで終わりです。
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by kobo-tan | 2013-06-18 01:39 | 社会 | Comments(0)