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カテゴリ:社会( 25 )


2015年 03月 05日

メディアの権力





FBからの転載。




ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんに、まったく同感。
平和国家の道を維持するのか、欧米列強十字軍の仲間に入れてもらおうとするのか、戦後最大の転換点にあるこの時に、最大の平和ボケはマスメディア。高給取りマスコミ人種は、みなサラリーマンになったのか?その方が売れるからと、連戦連勝の記事ばかり載せ続けた、昭和10年代の新聞とどこがちがうのか?
マスコミで働く人たち、あなた方はサラリーマンであってはダメ。自らの責任の重さを自覚せよ。



1980年代にデビッド・ハルバースタムの「メディアの権力」って本がありました。メディアに携わっている人たちは、ネットが普及した今日でも、やはりある特権を持っている人たちで、それは人心を操作できるという「権力」を持っているということなんです。ぼくの知っているマスコミの人はいい人だけれど、権力は常に批判にさらされなければならない、そしてそれに応えなければならない、と思います。




<NYタイムズ東京支局長のインタビュー記事より>

過激派組織「イスラム国」による邦人人質事件で2人が殺害されてから1カ月が過ぎた。
テロを含めた国際情勢にどう向き合っていくのか-。米有力紙ニューヨーク・タイムズ東京支局長の
マーティン・ファクラーさんは、日本が重大な局面を迎えているにもかかわらずさほど論議が
交わされていないことが不思議でならない。その背景にメディアが機能していないことを指摘する。

■「列強」への道
日本はいま、重大な局面を迎えています。平和主義を守り続けるのか、米国や英国のように
「列強」としての道を歩むのか。その判断を突きつけられたのが、今回の事件だったのです。

安倍首相が望んでいるのは後者です。かねて「積極的平和主義」を掲げ、米国の有力な同盟国として、
国際社会の一員として、役割を果たすことの必要性を強調してきた。

今回の中東諸国訪問は、安倍政権の姿勢を世界に示す大きなチャンスと考えていたのでしょう。
湯川遥菜さん、後藤さんの殺害が予告された後も、安倍首相は「テロに屈しない」と強硬姿勢を崩さず、
最終的に2人は殺害されました。

私にとって、政府がテロリストとの交渉を拒んだことは、何の驚きもありませんでした。
安倍首相は今回の事件を「国民が犠牲になったが、テロリストとは交渉しなかった」と米国や英国に
アピールする材料にするつもりだろうと思っていました。

日本はこれまで「八方美人」でした。どこの国とも仲良く、その代わり、どこにも敵をつくらない姿勢を
貫いてきた。安倍首相が描く国家像は真逆です。米国との同盟を強化し、国際社会における存在感を
強めようとしている。当然、リスクは増え、敵も多くつくることになるでしょう。

国家として重大局面を迎えているにもかかわらず、なぜ日本のメディアは国民に問題提起しないので
しょうか。紙面で議論を展開しないのでしょう。国民が選択しようにも、メディアが沈黙していては
選択肢は見えてきません。

日本のメディアの報道ぶりは最悪だと思います。事件を受けての政府の対応を追及もしなければ、
批判もしない。安倍首相の子どもにでもなったつもりでしょうか。保守系新聞の読売新聞は以前から
期待などしていませんでしたが、リベラルの先頭に立ってきた朝日新聞は何をやっているのでしょう。
もはや読む価値が感じられません。

私がいま手にするのは、日刊ゲンダイ、週刊金曜日、週刊現代といった週刊誌です。
いまや週刊誌の方が、大手紙より読み応えがあるのです。

安倍政権になり、世論が右傾化したという人もいますが、私はそうは思いません。
世論はさほど変わっていないでしょう。変わったのは、メディアです。



東京支局長のマーティン・ファクラー氏
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by kobo-tan | 2015-03-05 17:06 | 社会 | Comments(0)
2015年 02月 13日

高橋博之さんのお話し




都会人に欠けている”共感力”とは?
食べ物付きの月刊誌『東北食べる通信』が伝えたいこと







『東北食べる通信』というものをやっておられる高橋博之さんのお話しがとてもよかった。
お時間あったらちょっと見てください。18分。
それで、ちょっと感想。




考えたことの1。
TPPのこと勉強してないので間違ってるかもしれないが、貿易から保護をなくし、市場に任せ、超大型機械とバイオテクノロジーと化学産業(農薬)をつぎ込んで作った安価な米国産食品を世界中の消費者が買えるようにせよ、それがフェアーだと、たぶんアメリカは言っている。だが、フェアーとは何か?もともと自給自足で暮らしていた人間が、道具を使うことを知り、貨幣を流通させることを知り、さまざまな職業が生まれ、食べ物を作る人とそれを食べる人、道具を作る人とそれを使う人に分かれ、統治する人と統治される民に分かれ、共同体が育まれていった。しかしそのひとつの共同体は、自給自足を旨としていたのではなかったか。それが壊れ始めると、余った生産物を消費させるために、あるいは不足する食物や原料を手に入れるために、武力を用いて植民地を開拓したのではなかったか?豊かな自然から恵みを受けて食べるものを作り、民がそれをいただく。それが共同体=国の根幹ではなかったか?それが崩れたら?手を掛け恵みを受けることのなくなった自然は放置され、山河は荒れる。そういう状態を放置して、「国を愛せよ」とはどういうことか?




考えたことの2。
こういう人がなぜ政治の世界にいないのだろうか。
つねに考えている人は1時間でも2時間でも原稿なしでしゃべれる。その考えが深いほど説得力を生む。そしてその思索が行動を伴っているから物語が生まれる。その物語が、僕らに感動を与える。なぜだろう。それは、そこにうそやごまかしがないからだろう。こういうひとは、ひとを感化できる。こういう人を見て、ひとは自らに何かを命じ、動き出す。それが尊い。「教育」というのは本来、そういう働きを生みだすはずのものだけど、いまの学校教育はどうか?
正規科目「道徳」はこういう人を生みだすことができるか?
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by kobo-tan | 2015-02-13 15:46 | 社会 | Comments(0)
2014年 02月 05日

それでも日本人は「戦争」を選んだ




昨日の朝日夕刊、池澤夏樹のコラム「終わりと始まり」より…

……中国政府が、安倍首相の靖国参りはドイツの首相がヒトラーの墓に詣でるようなものだと言った。もちろん間違い。ドイツ人はヒトラーの墓を造らなかった。今に至るまで徹底してあの男を忌避している。彼の罪について再考の余地はない。

 だからこそ、この重ね合わせは効果的だし、きついのだ。

 それを承知の上でまだ安倍首相が同じような発言と行動を繰り返すとすれば、彼は本当にどんどん薪を積んでこの国を戦争に引き込むつもりだと思わざるを得ない。……

歴史学者の加藤陽子は過去の日本が太平洋戦争に至る過程を「それでも日本人は『戦争』を選んだ」と表現した。後世の歴史家が今の日本について同じことを書き記すようなことにならないように、今の政権をはやくなんとかしなきゃ。とりあえず都知事選。都民の皆さんの奮起を期待します。





 (終わりと始まり)誰が薪を積むのか 池澤夏樹

■第一次世界大戦の教訓

 先月のこの欄でぼくは尖閣諸島の事態についてこう書いた――

 「係争の地域では武装した艦船や航空機が小競り合いを続け、中央政府の間には意思疎通の回路がない。これは偶発戦争に繫(つな)がる構図である。この時期に識者は、第一次世界大戦が偶発的に起こったことを指摘している。」

 識者というのはたとえば国際政治学者の藤原帰一さん。「あの大戦は、当事者も起こるとは思っていなかった……英国の参戦はドイツには想定外だったし、四年も続く大戦争になるとは誰も考えていなかった」と彼は言う。

 あの時期のヨーロッパ諸国にはさまざまな対立や同盟の緊張関係があった。いわば火が着いたら容易に消せないほどの薪が積んであった。

 一九一四年六月のサラエボの暗殺は火花一つでしかなかったが、着火にはそれで充分だった。「クリスマスまでには終わる」と言われながら戦争は足かけ五年続き、九百万人が死んだ。

 政治とはコントロールの技術である。たとえば経済という巨獣にたづなをつけて国民に利をもたらすように誘導する。

 ちなみに「政治」は西欧語で「ポリティクス」つまり「ポリス(都市国家)の運営」だが、ギリシャ語には「キベルニシス」という言葉もある。政治・行政・統治の意で、直訳すれば「舵(かじ)を取る」。スクリューでもエンジンでもなく舵だ。

 その舵がいつも利くとは限らない。そもそも戦争とは出力過剰の状態であって、舵は利きが悪くなる。第二次世界大戦で言えば、一九四一年の十二月に真珠湾で始まった太平洋戦域の戦いが、翌年六月のミッドウェイ海戦を境に後はずっと負け戦だったのに、日本政府は三年かけても終結に持ち込めなかった。挙げ句の果ての原爆二発。

 それ以前はもっとひどい。中国戦域では一九三一年九月の満州事変以来十四年間に亘(わた)って戦争状態が続いた。出先機関である関東軍が東京の政府の言うことを聞かない。尾が犬を振った。

 先月、ぼくが今の日本と中国の対峙(たいじ)の構図に第一次世界大戦を重ねたのは警告のつもりだった。係争地で偶発的な衝突が起きて、中央政府の間に意思疎通の回路がなければ戦線は拡大する。薪に火が着き、戦闘が戦争になる。そうなっては困る、と言いたかった。

 そうしたら、一月二十二日、安倍首相はダボスで第一次世界大戦から百年目の今年、領土問題をきっかけに日中間に「偶発的な衝突が起こらないようにすることが重要だと思う」と言った。

 言うまでもないが、ぼくと首相では立場が違う。同じ歴史を踏まえた発言であるが、首相はそういう展開があり得ることを承知で、そうなってもしかたがないと明言したのだ。

 別の場で彼は「残念ながら今、(緊張緩和の)ロードマップがあるわけではない」とも言っている。あるわけではないって、あなた、それを作るのがあなたの仕事でしょうが……

 今、事態はものすごく危ないことになっている。安倍首相は自分の靖国詣でをアメリカ大統領のアーリントン墓地参拝になぞらえ、アメリカは怒った。それは当然、アーリントンに戦争犯罪人は葬られていない。死者を汚すことになると人は誰も感情的になる。それとこれとを一緒にするなと憤る。

 第二次世界大戦で我々は負けた。アメリカに負け、中国に負けた。この事実を踏まえての戦後世界の運営なのだ(今更言うまでもないが「国連」とはあの大戦の「戦勝国連合」であり、中国はその一員である)。この構図を引っ繰り返すにはまた戦争をする覚悟が要る。安倍さんにはそれがあるのかもしれないが、ぼくには無い。中国との全面戦争なんてまっぴら御免。

 今の段階ではことはパブリシティーの戦いに納まっているが、そこでも日本は負けている。ぼくはそれに荷担するつもりはないから、日本政府・官邸・安倍首相がぼこぼこに負けていると言おうか。

 中国政府が、安倍首相の靖国参りはドイツの首相がヒトラーの墓に詣でるようなものだと言った。もちろん間違い。ドイツ人はヒトラーの墓を造らなかった。今に至るまで徹底してあの男を忌避している。彼の罪について再考の余地はない。

 だからこそ、この重ね合わせは効果的だし、きついのだ。

 それを承知の上でまだ安倍首相が同じような発言と行動を繰り返すとすれば、彼は本当にどんどん薪を積んでこの国を戦争に引き込むつもりだと思わざるを得ない。

 ぼくの友だちが言った――「ここで戦争をしなければならないほど日本の経済は逼迫(ひっぱく)してるのかな」

 まさか、でも、しかし……そういう種類のバブリーな経済を信奉するのがあの首相だとすると……そこに原発再稼働を重ねると……(作家)

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by kobo-tan | 2014-02-05 13:14 | 社会 | Comments(0)
2014年 01月 12日

青年は荒野をめざす


Facebookより



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今朝のTOKYO-FM Panasonic melodious library は、1967年発表の五木寛之「青年は荒野をめざ
す」。いまではエッセイストのようになっておられるけれども、当時から70年代くらいまでの五木寛之は超人気
作家で青年たちのカリスマ。長髪のその姿もダンディーでかっこよかった。「さらばモスクワ愚連隊」「デラシネ
の旗」「内灘夫人」「青春の門」…世代に与えた影響は計り知れない。


「青年は荒野をめざす」の主人公ジュンが、おれは寒さに震えて眠れなかったこともない、飢えてひもじさに泣
いたこともない、おれはもっともっと苦労しなければいけない、みたいなことを言う。艱難辛苦を求めて世界に
旅立つわけだ。狭き門より入れ。こんなストイシズムがおそらく70年代までは、世代に関係なくまじめに説得
力を持っていた。いま現在、たとえば村上春樹の小説の中で主人公がこういう言葉をつぶやく図は想像できる
だろうか。つぶやけないとしたら、どうしてつぶやけなくなってしまったのか。そんなことを考えることも、何かを
探す糸口にはなる。
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by kobo-tan | 2014-01-12 13:24 | 社会 | Comments(0)
2014年 01月 05日

人は助けたり助けられたりしながら生きている



正月の新聞記事で(うちは朝日なので朝日のですが)こころに残った記事。
このひとの生き方がさわやかな風をはこんでくれた。
人は助けたり助けられたりしながら生きている。
僕もそう思います。


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自分の居場所はどこなのか。生涯打ち込める仕事はどこにあるのか。ひらりと身を翻し、もう一つの道をたどり始めた若者たちに出会った。その先に、もう一つの日本の可能性が浮かんでこないか。2014年の幸福論。


 ■3畳の店、ちょうどいい幸せ 宇田智子さん(33)=那覇の古本屋ウララ店主

 日本で恐らく一番小さな古本屋を営んでいます。広さは畳3畳ほど。那覇の第一牧志公設市場の向かい、小さなお店がずらりと並ぶ市場通りにあります。

 右隣の洋服屋さんは社交家で、いつもお友達と楽しそうです。左が漬物屋、正面が鰹節(かつおぶし)屋。今日は洋服屋さんがコーヒーをいれてくれました。お菓子が回ってくることもあります。八百屋さんが本を買いに来てくれて、そのお金で今度は私が漬物屋に買い物に行く。たとえ少額でも地域でお金を回していけば、お互いに生き延びられるし、つながりもできる。

 こういう街っていいなって最近思うんです。ちょっと店を空けるとき、お隣に声をかけるのを忘れても見ていてくれます。売り上げがとても少ない日でも、まあいいかっていう安心感がある。店を始めて2年。続けてこられたのは、この小さな世界が、私がようやく見つけた自分の居場所だからなんだと思います。

 幼いころから本は大好きでした。でも、まさか自分が古本屋をやることになろうとは、それも沖縄で暮らすなんて、考えてもみませんでした。

 引っ越してきたのは5年前です。東大の文学部を出てジュンク堂書店に入り、池袋本店に配属。入社8年目に那覇店を出すとき、手を挙げて転勤してきました。東京から逃げてきたんです。

 池袋本店は9階から地下1階まである巨大な本屋です。毎日、大量の新刊が入荷します。私は4階の歴史や哲学の担当で、多い日には50箱ほどをさばいて棚に差していました。隣のジャンルでどんなフェアをやっているのかもわからないほど忙しい。一日中走り回り、夜は満員電車に詰め込まれて、ワンルームの自宅にただ寝に帰る。圧倒的な物量と闘う生活を7年続けて、疲れちゃったんです。

 自分で本を選んで棚をつくる仕事は楽しかったし、何とか折り合いをつけて頑張っている書店員もたくさんおられます。でも、私には大きすぎました。

 那覇店でも仕事は同じでした。2年が過ぎ、また異動で東京の生活に戻るのかと考えたとき、もう逃げていてはダメだと思ったんです。沖縄でゆるやかな時間を過ごしたいと。ある日、知り合いの古本屋が店を閉めると聞き、ブログを見たら「次にやる人を探しています」とあった。これはもう、やるしかないと思いましたね。それが、この店です。

 不安だらけでした。でも友達の友達が改装を手伝いにきてくれ、知り合ったばかりの人が看板を描いてくれた。ぐじぐじ言っていると、大丈夫だよって励ましてもくれた。沖縄は人と人との距離が近いんです。昔は他人に迷惑をかけちゃいけないと思っていたんですが、頼らざるを得ない状況になって初めて、独りでは何もできないことが身にしみた。人は助けたり助けられたりして生きているんだ、返せるときに返せばいいんだ、と思うようになりました。

 もう一つ、沖縄で学んだのが根っこのある生き方です。「沖縄県産本」という言葉をご存じですか。沖縄には他県では考えられないほどたくさんの地元出版社があって、歴史や言葉から音楽、料理まであらゆるジャンルの本を出している。それは地元に根付いて生きている人が大勢いるからだと思うんです。ラジオでなまりを聴いただけで歌手の故郷がわかる。80歳のオバアが今でも小学校時代の仲間と料理を楽しんでいる。県産本という言葉には、地元が地元の文化を受け継ぐんだというプライドを感じます。

 古本屋の魅力は、思いがけない本に出会えることです。店主の個性が出ますから。私も沖縄出身の詩人、山之口貘(やまのくちばく)の棚をつくりました。私の好きなフォーク歌手、高田渡が彼の多くの詩に曲をつけて歌っていたんです。東京に出て貧困に苦しんだ彼の言葉は胸に響く。いまこそ読んでもらいたいなと思って。

 収入は3割ほど減りました。でも何とか食べています。店も大きくしたいとは思いません。いまのこの大きさが、ちょうどいい。小さいなりに幸せな社会、ということを最近すごく考えています。みんなに支えられてできたこの店を、できるだけ長く続けたいと思っています。(聞き手 萩一晶)

     *

 うだともこ 80年神奈川県生まれ。02年にジュンク堂書店に入社、09年に那覇店副店長。11年11月、市場の古本屋ウララを始める。著書に「那覇の市場で古本屋」。




この紹介記事も素敵。
http://calend-okinawa.com/culture2/cultureshopnavi/urara.html
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by kobo-tan | 2014-01-05 00:42 | 社会 | Comments(0)
2013年 12月 30日

この国の不幸




FBへの投稿記事です。


昨日の朝日のオピニオン欄。首相の靖国参拝についてのニ氏の考察はよかった。素人考えだが、さすがに元外交官の東郷氏の認識は冷静。「同盟国に対して『失望した(disappointed)』ということの恐ろしさ」は、現場を知ってる人の言葉として重い。小田嶋さんの意見もむべなるかな、安倍氏を舞いあがらせているのは、彼のFBページをのぞいて以来、ネトウヨの存在だろうと思っていたので非常に同感。氏が言うように、自民党にいる「こころある」政治家は党を割って出て新自民党をつくるくらいのことをやってくれないだろうか。政局は混乱するだろうが、現状のままの方がよほど国民には迷惑。

*東郷氏は、太平洋戦争開戦時(東條内閣)と終戦時(鈴木貫太郎内閣)の外務大臣でA級戦犯となった東郷茂徳の孫に当たる方。一方、安倍晋三は、開戦時の東條内閣で商工大臣だった岸信介(A級戦犯被疑者)の孫。認識明晰な東郷氏のような方は首相にならず、首相になりたがるのは安倍氏のような人しかいないのがこの国の大きな不幸だと思うんだが…




(耕論)靖国参拝、信念の向こう側 東郷和彦さん、小田嶋隆さん

安倍晋三首相が靖国神社に参拝した。米国は失望し、中国、韓国の反発に加えて欧州、ロシアも批判する。安倍首相の信念が生んだ出来事をどう読み解くのか。外交の専門家と日本社会を見つめる識者の2人に聞いた。

 ■「国産の歴史認識」のなさ露呈 元外交官・京都産業大学教授、東郷和彦さん

 先の戦争で亡くなった人たちを慰霊する場として、私は条件さえ整えば、靖国神社が最適だと考えます。しかし今の状況での首相の参拝には賛成できません。

 一番の問題は、日本の戦争責任について日本人自身がいまだに総括していないことです。中国や韓国が反発するから、米国が何か言ってくるから、何とかしないと、という問題ではないのです。

 退官後の2006年、小泉純一郎首相が靖国に参拝する少し前に、私は首相の参拝を「一時停止」し、A級戦犯合祀(ごうし)を始めとした問題を解決した上で再開すべきだと提言しました。しかし、その後7年、議論らしい議論もないまま、安倍晋三首相は参拝しました。極めて残念です。

    *

 <戦争責任直視を> そもそも、日本人全体の戦争責任をどう考えるのか。

 日本による満州国の建設、盧溝橋事件に始まる日中戦争、中国南部への進出など、徐々に広がっていく過程を国民は見ていました。知らなかったとは言えません。

 しかも日本人の中に、赤紙一枚で召集された兵と、それを指揮した人を同列に扱うのかという根深い対立がある。靖国問題とは、まず私たち日本人の問題なのです。

 自前の歴史認識を作る代わりに、日本は中国製の歴史認識を受け入れたと言われても仕方のない行動をとりました。1972年の日中国交正常化の時に当時の周恩来・中国首相が出した「日本軍国主義は日中人民の共通の敵」という「周恩来テーゼ」です。悪いのは日本の一部の軍人や軍国主義者たちで、大多数の日本国民は被害者だったというものです。

 当時の田中角栄首相は反論しなかったし、歴代首相もとりたてて反論はしませんでした。国際社会では反論しなければ受け入れたとみなされます。A級戦犯は国際的に日本軍国主義の象徴とされてしまった以上、反論するにはよほどの覚悟が必要です。

    *

 <不信深める挑発> 06年の小泉参拝当時に比べて国際情勢は大きく変わり、事態はさらに深刻です。

 昨年9月の国有化以降、尖閣諸島の周辺で日本と中国の間で戦争が始まるかもしれないという危険な状態が続いています。

 首相の責務は、尖閣が日本の領土だという筋を通しつつ、中国との戦争を回避することにあります。方法は抑止と対話の二つ。抑止は重要ですが、装備を増強するだけでは危険度が逆に増してしまう。対話は不可欠です。

 対話を成功させるためには、不信感が生じるようなことは一切差し控えるべきでした。中国は靖国を、首脳会談が困難になるくらい重大な問題ととらえている。それを承知して参拝したことで、中国からの日本の首相への不信感は増幅します。限りなく危険です。

 米国は靖国問題で中国を挑発するな、という意味のメッセージを送り続けていました。にもかかわらず、参拝してしまった。

 万が一、中国との間で戦争状態になった時に、米国は本当に助けに来るのか。米国世論はどう出るか。中国を挑発するような愚かな国のために血を流す必要があるのか、ともなりかねません。

 同盟国に対して「失望した」と言うことの恐ろしさを知ってほしい。外交の世界で同盟国にこんなにはっきり言うのは異例です。

 韓国にとって靖国は主要問題ではないと私は考えています。しかし、韓国が反発するのは明らかです。理由なく悪化している日韓関係の立て直しこそ首相の重大な職責にもかかわらず、また一つ不信の要因を作ってしまった。

 北方領土をめぐり、プーチン大統領との間で、かつてない打開の機会があると見られたロシアからも批判の声があがり、日本との関係を進めようという力を大きく減らしてしまいました。

 安倍首相は、靖国参拝というたった一つの行動によって、米中韓ロの歴史認識に関する包囲網を作らせてしまった。安倍さんの周りには優れたアドバイザーがたくさんいるのに、どうしてこういう行動になってしまったのか。日本人として極めて悲しい。

 日本人自身としての歴史認識と、外交の優先順位の原点に戻って考え直す必要があると思います。

 (聞き手・編集委員 刀祢館正明)

    *

 とうごうかずひこ 45年生まれ。外務省条約局長、欧州局長などを歴任。元外相でA級戦犯の東郷茂徳は祖父。著書に「歴史認識を問い直す」「歴史と外交」など。

 ■「いいね!」過信が「失望」招く コラムニスト、小田嶋隆さん

 安倍首相の靖国参拝は、単なる一か八か、ではなく、世論はついてくる、という彼なりの計算や勝算があったと思います。その根拠を与えているのがフェイスブック(FB)ではないでしょうか。

 安倍さんのFBを見ていると、称賛の声しかありません。FBは誰のものでも基本的にファンしか集まってきません。産経新聞によれば、参拝後、「いいね!」ボタンが4万回押されたそうですね。もし、FBに「ふざけるな!」ボタンがあれば、がんばって押しに来た人も大勢いたでしょうが。

 ちょうど白雪姫に出てくる魔法の鏡のように、「世界で一番愛されている首相はだれ?」と聞くと、「安倍さんに決まってますよ」という返事が返ってくる。それを毎日見ているうちに、どうしても影響される。

    *

 <直接届く民の声> 私の長年の雑誌での経験で「読者はがきに気をつけろ」というのがあります。投稿者は思い入れが強くて平均的な読者とは違う、影響されるな、と。でも、ものを作っている人間は心細いところがあって、2、3の極端な意見でも励まされたりがっかりしたり。

 まして、首相のような立場の人にはこれまで、民衆の直接の声が聞こえてこなかった。FBで直接声が届くことで、本人は非常に勇気づけられる。その影響は少なくないと思っています。

 今月下旬、通信社が今年は参拝しないだろうと配信したら、ネットには「がっかりした」という声があふれ、FBにも「行ってほしい」という声が少なからずありました。民の声に見えるものが何万とあると、どうしても引きずられてしまう。FBは政治家の背中を押すメディアなんです。

 ネットが政治化する傾向は、日本社会でより顕著かもしれません。日常的に政治の話をすることがタブー視されているので、ネットの中に潜り込みがちになる。しかも匿名なので、右であれ左であれ、極端な意見に傾いていく。中国、韓国に対して毅然(きぜん)とした態度をとると圧倒的に評判がいい。

 今回の靖国参拝でも政権の支持率はそれほど下がらないのではないか、と思っています。

    *

 <決断力に好反応> リーダーが何であれ、決断することを歓迎する風潮がこの10年、露骨になっています。参拝の是非より、首相が信念をもってやったことを支持する。事のよしあしはどうあれ、きっぱりした決断力、実行力に国民が反応するということが如実にあります。

 多くの人はおそらく、首相の靖国参拝自体、何それ、という感じかもしれません。それより、中国や韓国にいろいろ言われるのは不愉快だという気分の方が大きい。事情も聴かずに「そこ、もめないで」と学校の先生みたいなことを言っている米国も面白くない。だから、諸外国の顔色をうかがったりせず、毅然として参拝したことに、たくましさを感じる国民も一定数いるでしょう。

 考えてみれば、リーダーに決めてもらいたいというのは、自分では考えずに丸投げすることになります。民主主義国家として健康とはいえない。民主的に決めようと思ったら、複雑だし、迷いもあってぶれるし、時間もかかる。決断は煮え切らないものなんです。

 そんな中で、自民党内でも決して圧倒的な支持があったわけではなかった安倍首相は、小選挙区制を背景に、分不相応といっていい絶対権力を握ってしまった。しかも、かつての自民党は、実に幅の広い政党だったのに、今や一枚岩です。党内の風通しは悪く、異論の存在が許されず、元気の良かった若手の声も消えました。

 短期的には悲観しています。アジアだけでなく世界中にいる日本人が住みにくくなるでしょう。米国からは、「disappointed」、つまりがっかりしたという、男女の間なら別れ話になるような強い言葉が出た。いずれお灸(きゅう)をすえられるかもしれない。

 今回の出来事は、安倍さんが自信をつけて、戦後民主主義の全否定へと露骨にかじを切った、分水嶺(ぶんすいれい)だった、と後に振り返ることになるかもしれません。私は、自民党内のリベラル派が、党を割って出て第二自民党を作るのを期待したい。要は「自民党を、取り戻す。」です。

 (聞き手・辻篤子)

    *

 おだじまたかし 56年生まれ。切れ味鋭いコラムに定評があり、ネット連載「ア・ピース・オブ・警句」が人気。著書に「もっと地雷を踏む勇気」「場末の文体論」など。

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by kobo-tan | 2013-12-30 11:37 | 社会 | Comments(0)
2013年 12月 17日

満州を失ったって日本は発展したじゃないか



facebookへの投稿の転載です。


朝日日曜版の大久保真紀さんのザ・コラムがおもしろい。
こんな単細胞オヤジを行政の長として何年もいただいてきたってことに呆れるけど、筆者の書き方が巧いので全体は憎めない正直者という感じ、しかしこの人が決めてきたことで泣いてる人も数限りなくいるに違いなく、その罪滅ぼしを是非脱原発でやってもらいたいものだ。

 『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」
たしかにここまで言い切れる器の政治家はいまどこにもいない。



(ザ・コラム)小泉元首相の変節 「オレたちにウソ言ってきた」 大久保真紀

「小泉純一郎です。大久保さんいる?」

 先月12日の昼、社会部の電話が鳴った。受話器を取ったのは今春入社の新人記者。どぎまぎしながら、取材で外に出ていた私の不在を伝えると、「談話のことを取り上げてくれてありがとう。よろしく伝えておいて」。それだけ言うと、電話は切れた。

 その2日前、私はこの欄でドミニカ共和国に移住した人たちのことを取り上げた。「日本政府にだまされた」と移住者が訴えた損害賠償請求訴訟。国が勝訴したのに、当時の小泉首相が「政府として率直に反省し、お詫(わ)び申し上げます」と非を認める談話を出したことで、国の対応は百八十度転換した。私はこう書いた。

 「政治家が方向性を打ち出さない限り、官僚は動かない。それが日本の現実」

 この言葉が、安倍首相に原発ゼロを迫る小泉さんの琴線に触れたのだろうか。取材を申し込んだときは断ってきたのに。電話をもらったお礼の手紙を出すと、小泉さんは知人を介して、3人で食事でも、と伝えてきた。

 首相を退任してからはインタビューもテレビ出演もすべて断っているという。「取材ではないよ」と念を押されたが、直接会ってどうしても聞きたいことがあった。なぜ、いまごろ原発ゼロを声高に叫ぶのだろう。だって首相時代は、CO2削減を理由に原発推進の旗振り役だったのに。

    *

 「やあ、やあ」と言いながら、小泉さんは現れた。71歳には見えない若々しさ。席に着くなり言った。「いとこがブラジルに住んでいる。開拓でドミニカと同じような苦労をしている。ドミニカは(国が)ひどいウソついてたとわかったからな」。2004年に首相としてブラジルを訪問したときは移民に熱烈な歓迎を受けて男泣き。異国で暮らす同胞の思いに胸が詰まったそうだ。

 原発推進から原発ゼロに変節したのも、心を揺り動かされた何か大きな理由があるに違いない。そう思って質問した。小泉さんを変えた一番のものは何ですか?

 「電事連(電気事業連合会)の言ってること、ウソじゃん」。私の目を見据えて、強い口調でまくしたてた。

 「専門家が『安全で、コストが安い』『脱石油にはこれしかない』と言えば信用しますよ。何年もオレたちにウソを言ってきた。これですよ。こっちは原子力の知識なんかないんだから。3・11前はそんな関心もなかったし。あれほど制御しがたいものとは知らなかった」

 だまされたと思ったんですか。あえてそう聞くと、「そうだよ。思ったよ」。

 じぇじぇじぇ。原発ゼロに背中を押されたのは、官僚や専門家にだまされたことに気づいたからなんだ。まるでオレオレ詐欺の被害者みたい。同じことを何度も尋ねたが、福島の被災者への言及はなかった。

 じぇじぇじぇ。5年半も首相を務めた最高権力者がだまされたと嘆き、怒っているとは。でも、よくよく考えれば、日本はとんでもない国だ。正確な判断材料が一国の命運を左右する首相に示されず、安全神話を信じさせられてしまうのだから。小泉さんの変節は人間として何となく納得できるような気がした。

    *

 小泉さんの原発ゼロ発言が注目を浴びたのは、8月末に毎日新聞専門編集委員の山田孝男さんがコラムで取り上げてからだ。「新聞記事の影響の大きさが改めてわかったよ。だって、月2~3回してきた講演で同じこと話してきた。みんな無視したが、あの記事で無視できなくなったんだな」

 山田さんのコラムの中でも、小泉さんはこう言っている。「戦はシンガリがいちばん難しいんだよ。撤退が」「昭和の戦争だって、満州(現中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」

 昭和史に詳しい作家の半藤一利さん(83)に聞いてみた。「僕は小泉さんは大嫌い。(首相時代は)独裁になる前のヒトラーのやり口と同じだと感じたから」と前置きした上で「でも、彼の原発ゼロ発言は正論だし満州の例えはその通りだと思う」。

 そして、こう説明した。日露戦争の後、日本は手にした権益を守るために大国主義を選んだ。その結果、朝鮮半島を「利益線」にし、さらにそれを守るために、資源や人口問題などいろいろな理由をつけて旧満州を「生命線」とした。「近代史の中での意味を考えると、原発と満州国は同じかもしれない。かつては満州があって国を滅ぼしたが、これからは原発をもつことで国を滅ぼすことになるのではないか」

 小泉さんとの会食は3時間近く、話は映画や読書、ゴルフ、演劇にも及んだ。別れ際、抱きかかえていった30本の赤いバラの花束を手渡そうとしたが、体よく固辞された。一切もらわない主義だという。私が「(今日のこと)書きますので」と言うと、小泉さんはアッハハッと高笑いし、片手を上げて去っていった。

 (編集委員)

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by kobo-tan | 2013-12-17 10:19 | 社会 | Comments(0)
2013年 10月 26日

「セックスしない症候群」についてのコメント



FBでMさんが取り上げた話題、「日本の「セックスしない症候群」をBBCが特集 」に反応してたくさんコメントしてしまった。
ちょっと熱くなりすぎてしまったかもしれないが、正直な気持ち。
KさんとTさんとのかわるがわるのコメントだったが、自分のところだけこっちにもメモしとこうと思います。
自分のいまの偽らざる問題意識です。



Mさんの取り上げた記事

日本の「セックスしない症候群」をBBCが特集
BBCが制作し、10月24日(英国時間)に放送予定のドキュメンタリー番組『No Sex Please, We're Japanese』(セックスはナシ、我々は日本人です)は、日本に住む若い男女のセックスをめぐる状況について扱っている。

ジョークじみたタイトルに騙されてはいけない。これは、日本政府も重大視する非常に深刻な問題だ。「The Observer」に最近掲載された記事でも、日本には「セックスしない症候群」が広まっていると指摘されている。

The Observerの記事を書いたアビゲイル・ハワース氏によると、「日本の40歳以下の人たちは、従来の男女関係に興味を失いつつある」という。「何百万人もの人たちがデートすらせず、セックスにまったく関心を持たない人も増えている。(中略)日本の出生率はすでに世界最低の水準にある。日本の現在の人口は1億2600万人だが、ここ数十年は減少傾向にあり、2060年までには現在の3分の2を下回ると予測されている」

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1970年には35歳から39歳の女性で結婚していない人は5%程度だったが、2005年にはその率は20%程度になっている。

状況は複雑だ。人々はセックスをしたがらないが、問題はそれだけではない。BBC番組を制作したアニタ・ラーニ氏によると、現在も保守的で伝統を重視する日本社会では、子どもを持つ女性には一つの選択肢しか残されていない。それは、仕事を辞めて二度と職場には復帰しないというものだ。これまでの日本人女性はそういう事態に満足していたかもしれないが、現代の女性たちはそうではない。

「日本はアジアの国だということを思い出す必要がある。表面的には現代的だが、そこに暮らす人々は保守的なのだ。日本に行けば、そこら中で利用されているハイテク技術に圧倒されるだろう。しかし、日本人の生活を深く観察していくと、人々は伝統的で、結婚した女性は家事と子育てに専念するものと期待されていることがわかる。女性が出産して仕事を辞めた後、再び働き始めるための仕組みが整備されていないのだ。これは大問題だ」と、ラーニ氏は述べる。「この世代の日本人は、『セックスしないこと』を選択したが、これは日本でしか起こりえない奇妙な現象だ」

特に重要な問題として、日本の女性と男性がそれぞれ非常に異なる人間に変化しつつあるということが挙げられる。ラーニ氏によると、取材した女性たちは「非常に積極的な」人たちで、男性たちよりも仕事のスキルが高かったという。だが、そうした女性たちが社会で活躍していく一方で、自分の殻に閉じこもり、主導権をとりたがらない男性たちが出現している。「言ってみれば、男性たちは去勢されているが、それは彼ら自身が望んでのことだ」とラーニ氏は述べる。
(記事の後半は略)



これについてのコメント

■ コレものすごく根源的で重大なことだと思います。こういうことに自覚的にならないと気が付いたらどうしようもないほど変質した社会になっていたということになる。こういう現象が起きるということはやはりわれわれが暮らしている世の中の流れがどこか狂っているんだという認識をまず持たなければ何も変わらないと思う。うかうかしてる場合じゃないと思います。下の対談見るとそういうこと痛感します。
https://www.youtube.com/watch?v=k96hWzha4os



若者のセックス離れは「イタさ」回避のあらわれ?
www.youtube.com  (以前一度取り上げたビデオニュースドットコムの対談です)


■ この件について世間はいわゆる少子化問題として、このまま低出生率がつづくと人口が減り社会が成り立たなくなるから何とかしようとその現象面だけ見てあわててるところがあると思いますが、とてもその程度のことではなく、セックスをするとか子をつくるとかは人間の本性に関わる問題で、僕ら日本人が戦後約70年かかって一丸となって推し進めてきた資本主義、高度消費社会がもうすでにここまで人間を変質させてきたということで、これは先進国共通の問題でありながらも、日本社会のもともとの特色と結びついてここ日本においてもっとも顕著な問題となっているのだと思います。
これを放置したら、戦争は起きなくとも人間社会が内側から滅びるというくらいの問題で、この退廃は怖いと感じます。BBCのディレクターもそういう直観が制作動機になっているんじゃないでしょうか。仏文学者の鹿島茂さんの新聞記事や本を読んでからこれはただ事じゃないと考えるようになりました。


■ それだからどうこうすればよいなんてことはまったくわからないのですが、何か制度的なものを少しいじって出生率が少しでも回復すれば、という次元のことではないような気がするのです。
佐藤優氏の本を今読んでいるので、彼の言葉を借りますけど、情勢論の問題ではなくて存在論的な問題、人間はそもそもどういう存在かということに関わる、現代文明が抱える根深い問題だと思うのです。人間は反省を迫られていると。
情勢論的に対処してもとくに若者の抱える閉塞感はなくならないと思うし、そういう哲学を持った思考を土台にして何かをはじめる動きが出てこなければ、大局的には変わらないと思うのです。ちょっと抽象的でうまく言えていないと思うけれど、高度消費社会の固定化した社会通念の中で幾世代もの時間が過ぎてしまうと、若者と、語るべき共通の言葉すらなくなっていくんじゃないかと危惧しています。
学校で、道徳のないものが道徳を説き、面倒だからと現代史すら教えない、教える力のない学校教育のなかで幾世代かが過ぎてしまう。そんなことが複雑に絡み合っている、これは問題なんだと。


■ 個人的なことを書きますが、僕は35で結婚しましたが、それは「愛」に突き動かされてというより、このままひとりでいると孤独のために死んでしまうんじゃないかと怖れたことがもっとも大きな理由でした。結婚を選ばない人には、選びたいけど選べないのかもしれないし、さまざまな理由があると思うのですが、ひとつたしかに言えることは孤独をさほど怖れていないのではないかということなんです。それが何に由来するのか、ほんとうの孤独の辛さを味わったことがないからなのか、逆に、「愛」の経験がないからなのか、なぜ孤独を恐れないでいることができるんだろうと考えてしまいます。


■ セックスをしたいとか、結婚したいとか、僕なんかはある時期強烈に思いましたし、それは人と関係することで感じるであろう煩わしさなんかよりも大きく強烈でした。それをいま多くのひとたちが強烈には思わないとすれば、その本当の理由を知りたいんです。そこがわからなければ、そういうひとたちとこころからわかりあうということは不可能なんじゃないかと思うのです。

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by kobo-tan | 2013-10-26 02:26 | 社会 | Comments(0)
2013年 10月 17日

粉飾決算





10/1に経済産業省から施行された電気事業会計規則等の一部を改正する省令。廃炉が決定した原子炉も継続して資産と見なし、それにかかる費用にも減価償却を認め、その費用は電気料金に上乗せすることができる。その上、事故であろうがなんであろうが、廃炉に至った理由は問わないという。これによって国は、本来犯罪である粉飾決算を合法化した。またこれにより、極めてリスクの高い事業である原子力発電がノーリスクとなる……


電力事業に関しては特殊な「会計基準」を用いることになっていて、「会計原則」に照らすととんでもないこういう決定も違法性なくとおることになっているらしい。よって国会で審議されることもないというのだ。こんなにも電気は「特別」なのだ。この不公平、よく他産業から文句が出ないもんだ。また、減価償却の対象になることによって現行法内で電気料金にそれを加算することができるというからくり。僕も今まで知らなかったけれども、なるべく騒がれないうちにこんなふうにこっそりと進めていこうという国の姿勢。40年前の社会党だったら絶対に噛みつく代議士がいたはずなんだけど…


あらためて言いたくもないけど、これ本当はとんでもないことですよね!




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by kobo-tan | 2013-10-17 16:50 | 社会 | Comments(0)
2013年 08月 24日

渡辺京二さん





ほぼ半世紀以上ものあいだ、石牟礼道子さんを公私に渡ってサポートし続けておられる熊本在住の歴史家、渡辺京二さん。
僕はこの方のべらんめえ調の物言いが大好きだ。
維新後にフランス人ブスケの見た日本人労働者の姿は、そのままいまの自分の姿だ。
ということは、オレはまだかろうじて自分の時間の主人公である。これを手放してなるものか。




朝日新聞8/23朝刊より

インタビュー
    生きづらい世を生きる



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「江戸時代に生まれ、長唄のお師匠さんの2階に転がり込んで、戯作(げさく)でも書いていたかったねえ」=松本敏之撮影
 幕末維新のころ日本に滞在した外国人の訪日録を集め、近代化以前の社会の実相を明らかにした「逝(ゆ)きし世の面影」が12万部を超すロングセラーになっている。異邦人の目に映ったのは、幸福と満足にあふれる当時の日本人の姿だった。その後、私たちは何を失ったのか。なぜ生きづらい世になったのか。著者の渡辺京二さんに聞いた。


 ――「日本に貧乏人はいるが貧困は存在しない」という外国人の言葉が強く印象に残りました。

 「明治初期に東大に招かれた米国の動物学者モースの言葉ですね。彼の念頭にあったのは、19世紀末の当時、欧米の大都会でみられた労働者の打ちひしがれた表情です。すでに資本主義が始まっていました。貧困によって人間の尊厳まで否定される絶望。『人生の敗者』を思わせる不幸。そういったものが刻み込まれた貧困の表情が日本の貧乏人には見られない、と驚いたのです」

 「江戸には膨大な数の貧乏人がいたんですよ。でも彼らは、それぞれ居場所をもっていた。たとえば、煙管(きせる)にヤニが詰まりますね。それを掃除する仕事が職業になる。それで食べていける。そのかわり粗末な長屋暮らしですよ。家具もほとんどない。しかし、そんな貧乏人が食事になると美しい食器を使う。その美意識にも外国人は驚いたんです。しかも親はしつけで子をたたかない。『子どもの楽園である』と」

 ――日本も日本人も、大きく変わってしまったんですね。

 「維新後に司法省顧問に呼ばれたフランス人のブスケは、日本の労働者はちょっと働いたらすぐタバコ休みにする、これでは近代産業を移植するのは無理だと考えた。当時の日本人はまだ、自分が時間の主人公だったんですよ。地固め工事のヨイトマケをみたモースも、日本の労働者はまず歌い、それから滑車の綱を引くと。なんで労働の手を休めて歌うのか、不思議に思うんです。要するに労働は資本主義の賃労働と違って、遊びと分離されておらず、楽しみが含まれていた。そういう非効率なものを排除していったのが近代化だったわけです」

 ――まるでメルヘンの世界ですが、そんな時代を取り戻そう、という趣旨で本を書かれたのですか。

 「違います。一度失った文明は取り戻せるはずもない。それに、こういう特質は資本主義が始まる前の中世の欧州にもありました。欧米の観察者が日本で見いだしたのは、古き良き欧州も持っていた前近代社会の良さだったのです」

 「私たちは彼らの観察を通して、近代化で失ったものの大きさ、豊かさを初めて実感できます。いま私たちが生きている近代文明の本質も見えてくる。たとえば、いくら江戸時代がいいといっても当時の平均寿命は今の半分以下だったんだぞ、という批判があります。でも、その前提にある『寿命は長ければ長いほどいい』という価値観が、すでに近代の発想なんです。人は時代に考えを左右される。その思考枠に揺さぶりをかけ、いまの社会のありようを相対視したかったのです」

    ■     ■

 ――では現代はどう見えますか。

 「あらゆる意味づけが解体され、人が生きる意味、根拠まで見失って、ニヒリズムに直面しているのではありませんか。だから合理的に働き、合理的に稼ぎ、合理的にモノを買って遊ぶ。グルメや温泉巡り、ゲームがはやるわけです。稼いで遊び、遊ぶために稼ぐ。それが人生だと。それで済む人もいるでしょう。でも人間はいつまでもは満足できない。そのうち空しくなる」

 ――生きづらい世の中になってしまったのは、なぜでしょう。

 「根本には、高度資本主義の止めどもない深化があると思います。基礎的な共同社会を、資本主義は根っこから破壊してしまうんですよ。たとえば江戸の長屋だったら、お隣さんに『悪いわね』といって子を預けて外出できた。ところが今は、お金を払ってベビーシッターを呼ぶ。つまり共同社会では無償で支え合ってきたものを、資本主義社会は商品化してしまうわけです」

 「お金を払えば済むわけですから便利ではあるんですよ。だけど人間はバラバラになってしまう。資本主義は一人一人を徹底的に切り離して消費者にする。その方が人はお金を使いますから。生きる上でのあらゆる必要を商品化し、依存させ、巨大なシステムに成長してきたのです」

 ――でも、私たちはそれによって経済的繁栄を手に入れたはずです。

 「その通りです。何よりも貧しさを克服した。人類は長い間、衣食住の面で基本的な生存を確保できず、初めて手に入れたのが近代ですから。しかし、近代は人間を幸せにすることには失敗しました。人間に敵対的な文明になってしまった」

 「昔は想像もつかなかったほどの生産能力を、私たちはすでに持っているんですよ。高度消費社会を支える科学技術、合理的な社会設計、商品の自由な流通。すべてが実現し、生活水準は十分に上がって、近代はその行程をほぼ歩み終えたと言っていい。まだ経済成長が必要ですか。経済にとらわれていることが、私たちの苦しみの根源なのではありませんか。人は何を求めて生きるのか、何を幸せとして生きる生き物なのか、考え直す時期なのです」

    ■     ■

 ――人が生きていくうえで、大事なことは何だとお考えですか。

 「どんな女に出会ったか、どんな友に出会ったか、どんな仲間とメシを食ってきたか。これが一番です。そこでどんな関係を構築できるか。自分が何を得て、どんな人間になっていけるか。そこに人間の一生の意味、生の実質がある。本来、生きていることが喜びであるべきなのです。日本がGDPで世界2位か20位かは関係ないんです」

 「どんな社会を構築していくべきか。そのヒントが江戸時代にあります。皆が1日5時間働いて、ほどほどの暮らしができないかとか、労働自体の中に楽しみがあり、仲間との絆が生まれる働き方ができないかとか。もちろん直接の応用はできませんよ。経済も社会も大きく変わっていますから。でも、社会に幸福感を広げるにはどこを目指せばいいのか、その手がかりはある」

 ――しかし現実には、低賃金の長時間労働、非正規雇用が増え、独身率も高まって若い人は大変です。

 「就職難で『僕は社会から必要とされていない』と感じる若者がいるらしいねえ。でも、人は社会から認められ、許されて生きるものではない。そもそも社会なんて矛盾だらけで、そんな立派なものじゃない。社会がどうあろうと、自分は生きたいし生きてみせる、という意地を持ってほしいなあ」

 「『自己実現』という言葉に振り回されている気もしますね。それは、ただの出世の話でしょ。社会規範にうまく適合し、基準を上手にマスターし、高度資本主義に認められたステータスに到達したというだけのこと。自分の個性に従って生きれば誰しも自己は実現されるんです。あんなものには惑わされない、しっかりとした倫理観と堅実な生活感覚をもった民衆像が日本にはあるんです。藤沢周平の小説にみられるような豊かな庶民生活の伝統が」

    ■     ■

 ――ご自身はずっと熊本ですか。

 「僕は小学4年から今の高校1年まで旧満州の大連で育ったの。戦後、着の身着のままで熊本に引き揚げてきて、バラックの六畳間に7人暮らし。17歳で共産党に入り、結核にもかかって、まともな就職なんかできなかった。それでも僕は生き延びてみせると思ったし、生き延びてきた。ソ連の戦車がハンガリーの街頭で民衆に砲口を向けた時点で、党とはさっぱりと切れましたが」

 「人は何のために生きるのかと考えると、何か大きな存在、意義あるものにつながりたくなります。ただ、それは下手するとナチズムや共産主義のように、ある大義のために人間を犠牲にしてしまう危険がある。人間の命を燃料にして前に進むものはいけません。その失敗は、歴史がすでに証明しています」

 ――若い世代にアドバイスを。

 「人と人の間で何かを作り出すことですよ。自分を超えた国家の力はどうしても働いてくるんだけど、なるべくそれに左右されず、依存もしない。自分がキープできる範囲の世界で、自分の仲間と豊かで楽しい世界を作っていく。みんなで集まって芝居を作ってもいい。ささやかに食っていける会社を10人ぐらいで立ち上げてもいい。僕も熊本でずっと、仲間と文学雑誌をつくっては壊し、つくっては壊ししてきたんです」

 「ただ、基礎的な社会にだけ生きて国家のことは俺は知らないよ、ということはできない。国民国家のなかに僕らは仮住まいしていて、大家には義理がありますから。だけど、それはあくまでも義理。義理は果たさねばならないが、本心は別のところに置いておきたいものです」

    *

 わたなべきょうじ 30年生まれ。日本近代史家。著書に「北一輝」「評伝 宮崎滔天」「近代をどう超えるか」など。10年に「黒船前夜」で大佛次郎賞受賞。

 
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by kobo-tan | 2013-08-24 12:36 | 社会 | Comments(0)