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カテゴリ:水俣から福島へ( 3 )


2013年 07月 30日

映画「東京原発」




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2004年公開の映画 「東京原発」 では、役所浩司扮する東京都知事が、「東京に原発を誘致する!」と宣言します。
役者も名優ぞろい、勉強にもなって映画としてもおもしろい。このお二人が詳しく解説しています。





この映画、こちらで全編見ることができます。
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by kobo-tan | 2013-07-30 17:25 | 水俣から福島へ | Comments(0)
2013年 07月 23日

「水俣病・支援者たちの闘い」


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TBS報道の魂 7/14放送 「水俣病・支援者たちの戦い」


RKK熊本放送 井上佳子ディレクターへの手紙



井上さん、DVDありがとうございました。見ました。
いかんせん時間が短いので井上さんも言い足りない思いがしたと思いますが、僕は以前から支援者のひとたちのことを知りたいと思っていたので、とてもよかったと思う。FBでよく目にしていた高倉草児さんやガイヤ水俣と、お父さんの高倉さん、相思社が繋がりました。支援者の方たちは縁の下の力持ち的存在でいままであまり取り上げられることがなかったと思うんだけど、僕はこの方たちはほんとうに偉いと思うし、頭が下がります。支援者の方たちがもしいなかったらと思うと、ぞっとするんです。


この人たちは、その前に立った時、黙って立ち去ることができなかった人たちですよね。水俣には地縁も血縁もないのに、その前に立った時に放っておけないと感じ、自分のやるべきことがあると考えて骨をうずめてゆくわけですよ。その志と、それを支えるバイタリティー。自分の生活のことは二の次で、支援を続けながら精力的に働き、甘夏をはじめてそれを継続し畑を広げて、素晴らしいまっすぐな子どもさんを二人ももうけてともにはたらいておられる。東大卒の肩書なんかどぶに捨てても構わないその心意気。


水俣のほとんどの市民が、自分らの生活を優先して、チッソという「お上」にしがみついて、漁民のひとたち、患者さんたちを見捨てたのに、彼らは、食っていくこと、将来のことなんか度外視して、患者さんたち、漁民のひとたちを助けようとする。いまだに親の脛かじっているオレみたいなへなちょこには逆立ちしたってできないですよ。水俣に移り住んで一人芝居を続けられた砂田明さん、水俣を撮り続けた土本典昭さん、亡くなられた原田正純先生にしても、別にすぐ立ち去っても誰からも非難されないのに関わり続けてこられて、彼らがメディアとなって、水俣の外部のたくさんの人たちの関心と結び付けて、水俣病事件はなんとかバランスを保ってこられたと思うんです。水俣の市民感情としては、ずっと彼らのことを煙たがって、頼むからもうあまり騒ぎを大きくしないでくれという感じだった。水俣市民は、加害者であるのに、被害者意識がありましたから。水俣から外に出た人で、出身が水俣とわかっただけで、縁談が壊れたという話はたくさんありました。外で水俣出身と話すとヘンな目で見られるんじゃないかという怖れをみんな持っていたと思います。僕も、済々黌に行ってから後かなり長く、出身地を言う時に負い目がありましたから。


東島大さんのNHKのドキュメンタリーのことをブログで紹介したら、また前のメールに書いた原田和明さんから見ましたというコメントをいただいて、原田さんが市民の謝罪ということについて書いておられたので、その辺のことをやりとりしました。
つくりものがたり「日本人は何をめざしてきたのか」
このコメントの欄を見てください。


原田さんも僕も、公式発見から12年もの間、みんなわかっていたのになぜ排水が放置されたのかということがとてもひっかっていて、そこのところにはやはり、自分の小さな生活のことしか考えられなくて、国と会社に巻かれ続けたチッソ社員を含む市民のあり方が大きかったと思うんです。みんな逃げていたと思う。僕は父とも母ともこんな話はしたことないし、両親はもう高齢ですが、これからもしないと思う。しても心理的に拒否されると思うし、彼らとしてはしたくない話なんです。それはやっぱり、正面から向き合わないで逃げてきたから、その話をすることはそれを暴くことになるから、もう蒸し返したくないのです。


僕は、細川一院長がネコ実験をやられたチッソ附属病院で生まれました。長くなって申し訳ないです。今日はこの辺で終わります。この件についてまた何か考えたらまた書きたいと思います。
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by kobo-tan | 2013-07-23 13:10 | 水俣から福島へ | Comments(0)
2012年 07月 08日

水俣から福島へ ~この50年はなんだったのか~ ①

テレビを見ないので、世の中のことは購読している朝日新聞で知る。
福島第一原発の問題が何の進展もないままに政府は大飯原発の再稼働を決める。
一方では、この7月末に「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別
措置法」の申請期限が来る。先月25日には民間医師らによる集団検診があったばか
りで、このところ、原発と水俣病関連の記事が続く。


動かぬ原発に2000人

d0169209_2345234.jpg 7/5朝刊の大平要記者の署名記事。

福島第一原発からわずか10km南の福島第二原発。 稼働には地元の同意が不可欠なため、
この原発が再び動く見通しはまったくなく、にも関わらず、今も毎日2000人の作業員が高い放
射線量の中、補修と点検にあたっている。原子炉を冷やしておくためには、人手をかけて、その
ための設備を動かし、修繕や点検をしなければならない。 その費用は年に900億円。 東電は、
この900億円を、家庭向け電気料金の値上げでまかなおうとしている。


地元福島県は県内の原発をすべて廃炉にするよう求めているのに、なぜしないのか。
「廃炉を決めたとたん、数千億円の損失が発生する可能性がある」からだ。 廃炉と同時に、発電
所の資産価値が一気にゼロになり、廃炉費用もかかる。 この損失のせいで東電は、財産をすべ
て処分しても損失を埋めきれない「債務超過」に陥る。


「水俣」と重なって見えるのは、ここから先だ。
そもそも、東電は事故の賠償費用が数兆円かかって債務超過になるはずだったため、廃炉も一緒に
決めたうえで、つぶす選択肢もあった。 ところが政府は、賠償責任から逃れるため、お金を貸す銀行
や株主を守り、責任主体としての東電を残し、つぶさなかった。

水俣と同じだ。
裁判に負けた、水俣病の原因企業であるチッソは莫大な賠償金を負わされることになるが、県も、国も、
決してチッソをつぶさなかった。 賠償義務があるから、どんなに傾いてもチッソはつぶれない、と言われた。
力関係でいえば、チッソよりも、もちろん県、国のほうがはるかに強い。 


 かつて水俣で起こったこと

1959年に熊本大学医学部研究班は、水俣病の原因物質が魚介類中に含まれた有機水銀であるという
報告を提出。その旨の答申を厚生大臣に提出したが、当時の通産大臣で、翌60年から首相として高度
経済成長を推進する池田隼人は、原因を有機水銀と特定するのは時期尚早と発言して了承され、答申は
棚上げ、その後はさまざまな異説を立てて、御用学者と国は原因究明の攪乱を図った。
同じ1959年にチッソ水俣工場附属病院(会社病院と市民は呼んでいた。いまはもうない)の院長、細川一
医師が猫への工場廃液の投与で、「奇病」と同じ症状を再現した(「猫400号」として知られる実験)が、
会社はこの結果を握りつぶし、数年後に形ばかり立派な「浄化装置」をつくり、(水銀を含む廃液とは別
経路の廃液だった)時の工場長が、「飲んでもなんともありません」と言って、その装置で「浄化」された
廃液を飲んで見せた。


 取り返しのつかない10年

こうして、水銀を含む廃液の垂れ流しと製造は、「奇病」の原因は工場廃液であるということを誰もが知って
いながら、じつに1968年までつづいたのだ。
1959年の時点できっぱりと製造をやめていれば被害は格段に小さかっただろうことを思うと、この10年は
悔やんでも悔やみきれない。 これははっきりと、「犯罪」である。 誰の? 思うに、この裁判を行うとすれば、
第二次大戦後の、東京裁判やニュルンベルグ裁判に酷似してくるのではないだろうか。 もちろん、裁判は
行われ、その結果も出た。 司法は会社と、県と国に責任を認めた。 しかし、こころから罪を感じ詫びた人間がい
ただろうか。 今回の福島第一原発~東電~国の有り様がここにもきれいに重なってくる。 巨悪にかかわ
った人間たちが、みな一様に、自分は自分の部署で手を尽くした、あの状況ではどうすることもできなかった、
仕方のないことだった、と腹の底では思っている。 自分が関わったことが、取り返しのつかないことを生んで
しまった、という根本的な罪責感がない。


追記)  「浄化装置」(サイクレーター)について
     
  弁護士として水俣病裁判に関わった後藤孝典氏の著書「沈黙と爆発」に次のような記述がある。
・・・・サイクレーターはもともと有機水銀説が公表されるよりも前に、排水に含まれるカーバイト残滓を取り出して、
マグネアンクリンカ―を製造する目的で計画されたもので、固形物を凝集沈殿させて取り出すことはできても、排
水に溶解している有機水銀を除去する能力なぞあるはずがない。
 私はサイクレーターを設計した荏原インフイルコ株式会社の技師から、このサイクレーターは有機水銀を除去す
るために設計されたものではないことを直接確認した。(第二章 敗北 P101)
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by kobo-tan | 2012-07-08 01:47 | 水俣から福島へ | Comments(0)