つくりものがたり

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2011年 09月 30日

であいがしら

本の、ちょうど開いたページにあったもの。


 夜

父と
兄が
山からかえってきて
どしっと
いろりにふごんで(ふみこんで)
わらじをときはじめると
夜です

        (1950年1月 横戸チイ子 「山びこ学校」より)
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by kobo-tan | 2011-09-30 10:52 | | Comments(0)
2011年 09月 27日

月のように 星のように


きょうはとても苦しい日で、湧いてくる力がなく、どうしていいかわからないくらいだったのだけど、この歌を聞いて、少し気持ちが楽になった。
月のように星のようにという、ことばがいいのだと思う。

がんばろうとか、くよくよしないでとか、そんなことばではやっぱり人間しか見えない。
苦しいときつらいときは、やはり人間ではないものに気づいた方がいいのかもしれない。
じぶんらの小ささに気づいた方がいいのかもしれない。

月のように 星のように
この暗い道を 照らしてゆける
そんなふうに きみはいま歩きはじめる

このうたが、今日は顔を上げさせてくれた。
「smile」も「崩壊の前日」もいいけれど、きょうは、月と星の、力を感じた。




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by kobo-tan | 2011-09-27 01:09 | ものがたり | Comments(0)
2011年 09月 25日

影法師

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8/30に撮ってあった空。いま見ると、蒼がずっと深いような気がする。

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影法師

昨日の夜中に、啓示のように閃いた言葉
にんげんの企てはかならず敗北する
社会主義も敗北した 主義と名のつくものはすべて
資本主義もまたしかりだろう 東西の歴史はことごとく
それを告げている

黒は白 白は黒
大仰に嘆いてみせてもいいのだけど
ほんとはみんな知っていることだから
介在するあらゆる約束ごとを宙にほうり投げ
帰ってきてもいいんだ

空の拡がりはいつも
それをなんらさまたげない
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by kobo-tan | 2011-09-25 17:52 | ものがたり | Comments(0)
2011年 09月 25日

自然の災禍  文明の災禍

当ブログは、主に僕の仕事のなかで、これは面白いかもというのがあれば写真に撮っておき、これは誰かに知らせたいというのがあれば記事を書いて投稿しているもので、家具作りのプロもそうでないひとも、とにかく他人が読んだら(見たら)面白いんじゃなかろうかというアテがひとえに投稿の原動力になっている。
しかし自分は一介のつくり手に過ぎず、デザイナーでも設計者でも(同じか)ないので、そう毎回毎回ひとに伝えたくなるような仕事がつづくものでもない。きれいに現場に納まった施工写真くらいはと思っても、家具取り付けのときは往々にして現場は各業者の施工合戦で写真など撮れる状況でないことも多い。
現にいまやっているのは建具枠の加工で、ことさら知らせたくなるようなしろものではなく、何の変哲もない。そういうときは、ひとに伝えたいと思うものは家具以外のことだったりする。家具のことだけ考えて生きているわけでは当然ないので、他のことも書きたいのだけど、あまり興味の赴くままに書き連ねたら支離滅裂のワケわからんブログになって誰も読まなくなるかもしれない。それは危惧する。

でも、僕の性分として、ここでは家具の紹介だけというふうにキレイに分けることができないのだ。それに、そのやり方では、面白い家具をつくった時しか更新できなくなる。それもさびしい。よって、書きたいことを書きたいときに書くという姿勢を許していただきたい。…なんておおげさな。興味ない人は読まないってだけなのにね。

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というわけで、今月、新潮新書から出た内山節「文明の災禍」を読んだ。
内山節は、東京と群馬県上野村に住み、上野村では地域コミュニティのなかで畑作も営んでいる「哲学者」だ。現代社会のなかで生きるということの本質を、いつも突きとめようとしている人だ。
その彼が、3.11の東日本大震災を経て書き下ろした文章である。


…そのとき私たちは、次元の異なるふたつの災禍が同時に起こったことに気付かざるをえなかった。地震、津波という自然の災禍と、原発の瓦解という私たちの文明がもたらした災禍、すなわち文明の災禍とが。
…現代文明を見なおさなければならない、と言うのは簡単だ。たしかに見なおさなければならない。しかし、その私たちも現代文明のなかにいるという事実と、どう向きあったらよいのか。その内部にいる人間が、自分を包んでいる世界を見なおすことほど困難なものはない。なぜならそれは、池で泳ぐオタマジャクシに、彼らの暮らす池を見なおせと言っているのと同じだからである。


序章にあるこれらの文からもうかがえると思うが、内山さんの文章は、畑作をやっておられることも影響しているのか、平易で泥臭く、地に足がついているという感じがする。自分だけが持っている情報を並べたてて読者を煙に巻くということがまったくない。「朝まで生テレビ」に出てくるようなひとたちとはなにか根本的にちがう気がする。

本を読むことは自分と対話することだと思うのだ。「速読」が読書と言えるだろうか。それは、欲しい情報を探す行為ではあっても、作者とも、自分とも対話することができない。「遅読」がむしろ本を読むことのあるべきすがただと、なかなか速く読めない自分は思う。内山さんの文章は繰り返しが多いので、冗長だという批判をする人もあるかもしれない。しかし僕はそうは思わない。あれは、たぶん内山さんの思考のリズムでありスピードなのであって、彼はそれを崩さず書き進めるし、それがゆったりとこちらの思考もうながしてくるのだ。ことさらむずかしい言葉も特権的な情報もない。僕らと同じ場所で、同じ時間のなかで紡がれた言葉。

論考の細部は、じっさいにそれぞれが読んで考えてもらうしかないので、ここでは内山さんの文章の感触を伝えるにとどめたい。はっきり言えるのは、彼の言葉は、いま読みうるもっとも誠実な言葉のひとつであるということ。これは、同じ問題意識を持って書き続けている辺見庸氏にも言えることだが、内山さんは辺見さんよりやはり泥臭く、庶民的な感じがする。そして、どこまでも冷静だ。

この本は「…たしかな生はたしかな関係とともにある」という言葉で締めくくられている。判断停止に陥らず現実を切り拓いてゆくには、この言葉をぼくたちそれぞれが、他人事でなく自分の問題としてとらえて生きてゆくことが、どうも課題であるような気がします。
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by kobo-tan | 2011-09-25 01:29 | | Comments(0)
2011年 09月 24日

埋め木


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材の角に死節(しにぶし・・少しの衝撃でも取れやすくなっている節)がでて、削りの途中で取れてしまったので、埋め木をする。
欠けてくぼんだかたちに合うように削った同じベイマツの丸棒を、瞬間接着剤ではなかなかつかなかったので、ウルトラ多用途という汎用接着剤でくっつけて、しばらくテープで圧着した。

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材に沿ってノコを動かし、そろそろと切ってゆく。

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もう一方も切ってゆく。

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埋め木の木目をまわりに合わせるのがこころ遣いといえばこころ遣い。
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by kobo-tan | 2011-09-24 20:57 | minimal thing | Comments(0)
2011年 09月 19日

ベイマツを削る


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昨日からベイマツを削っている。
こんど鎌倉にできるヨガスタジオの木工事の手初めで、L型に続く長い玄関ファサードのガラス枠。いまはここまできたけれど、東木材の斎藤さんに持ってきてもらったもとの材は、45mm×250mm×4mの、ひとりでは抱えて持ち上げるの精一杯の、とにかく長いかたまりだった。それを指定の大きさに仕上げてゆくにはからだも使うし、あたまも使う。「木は切っちゃったら終わり」というあの大原則があたまのなかをかけめぐる。その長大な材をうまく切るのもたいへんだけど、うっかり切り間違えると、この場合¥15.000がぱっとなくなる。もう一本買い足さないといけなくなる。

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昨日から吸いこみが悪いと思っていたら、またやってしまった。
ある程度の量の無垢材を削りはじめるときは、集塵機のゴミ袋も空にして挑むのだが、調子に乗って削っていると、満タンになったことに気づかずに削り続けることになる。ゴミ袋を開けたとたん、はいりきれない削りかすがどさどさっと落っこってくる。

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押し縁の欠き取り作業。
長い材では、補助ローラーが威力を発揮する。脚立の上に乗っているあれだ。ハンドルを回すと高さの微調整もでき、昇降盤のこんな加工のときはすごく重宝している。二人いれば持ってもらうが、2m40cmあるこの材をひとり手の力だけで盤の上に押しつけ続けるのはそれはもう絶対無理だし、強行したら、60mm近く出した丸ノコの刃に手が触れてしまうだろう。
考えてみると、ぼくらはほんとに危険と隣り合わせのことを毎日やっている。

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開けた窓から蝶が舞いこんできた。
きれいだったから蝶、蛾ではないだろう。でも、蝶と蛾はどこがちがうのだ?
ウィキぺディアで調べてみるとチョウ目のなかのきれいな3種だけを蝶と呼び、残りの種は蛾と呼ばれるがおなじチョウ目であるらしい。むかしパピヨンという面白い映画があったことを思い出した。パピヨン(蝶)の刺青をした男が脱獄する話。マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した映画だ。記憶にまちがいがなければ、1977年に、熊本の宝塚劇場という名画座で見た。一本立て250円、入れ替えなしの映画館。


今日もまた30℃を超え暑いので、昼飯休憩の延長でこれを書いていたが、エアコンでだいぶ体も冷えてきた。明日あせらなくてもいいように仕事に戻ろう。
他にも書きたいことがあったのだけど、また、いずれ。
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by kobo-tan | 2011-09-19 16:17 | 製作過程 | Comments(0)
2011年 09月 17日

きちんとつくりたいだけなんです


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ラフな味わいの商品陳列台の製作。

材料はラーチ合板という構造用合板、壁の下地など直接目に触れないところに使われる材料で、
真っ黒い節だらけの、押しキズ擦りキズ割れ目ありの、とてもふつうでは家具の材料としては使えない材料の指定。
これを、前面、側面、天板面の接合をすべて留め(45°接合)で組んで欲しいとのこと。

前・側面だけならまだしも傾斜している天板も留めだとやりにくかろうと、請負会社のTさんが気を使って、わざわざ作らせたというラーチ(唐松)板目の突き板シートを送ってくれた。受け取って包みを開けてみると、300mmピッチほどできれいにタケノコ模様が並んだ、ピカピカの板目シートで、・・・うーん、これを、ここに、貼るのか・・もとは同じラーチ(唐松)であってもロータリー目の粗っぽいラーチ合板とこの化粧用突き板ではいくらなんでも合わないと思われ…
変形のもう一台を分担して製作してくれることになった師匠の下司さんと相談して天板もラーチ合板でいきましょうということになった。

で、写真は、傾斜天板を、留めで、ビスを使わずボンドとピンネイルのみで、しっかりと本体に接合するにはどうしたらいいかと思案しているところ。

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結局、1252mmの間口のなかに2枚、垂れ止めの支え板を仕込み、前・側板との接合部分にも垂れ止めの桟を渡した。これで強度も増すし、ボンドも効くだろう。

・・・・・・・・・・・

そして今日完成した陳列台。

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前面のこぼれ止めのところには、ベイマツの無垢を加工して貼り付けた。
さすがデザイナーだと思うのは、前・側面の目地。これが入ることでただの粗っぽい箱が一気に引き締まった。
ここで、上面にもしあのピカピカの突き板シートを貼っていたらと想像してみる。
やっぱり・・・まずいことになったんじゃないだろうか。水と油だもの。

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裏側はこんなふうになった。
この什器は大きな柱型の前に固定する。したがって中は「殺し」の空間だから、極論すれば何もなくていいわけだが、それではたぶんつくれないのでつくるひとそれぞれでちがう姿になるだろう。
ぼくらは、おもての仕上がりをぱっと見たら、この裏側を見る。
必要最小限の材料で、最大の効果、組み立てやすさと十分な強度が得られているということがもちろん「上手い」ということだ。
そしてその計算と判断をぱっぱっとすばやくできるようになるのが「熟練」ということだ。

「予算もないので、あんまり凝らないでください」とよく言われる。
凝ってるわけではないのです。
たとえばこの、粗っぽい合板と傾斜天板と、留め留め接合の組み合わせ。
設計者の立場になって考えてみる。設計者はどんな意図で、どんなイメージで設計したのか。
おかしいと思うところがあれば、ためらわず向こうへぶつけます。
そして、できるかぎり設計者の意図を汲んで、つくる。凝ってるわけではありません。きちんとつくりたいのです。それだけ。

こうして、僕の場合、目論んでいた作業時間を、ほとんど超えてしまうことになる。
それはまだ、熟練が足りないということ。自業自得だね。トホホ
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by kobo-tan | 2011-09-17 23:17 | 製作過程 | Comments(0)
2011年 09月 17日

世の中の真実

このところまた暑くなってきたので、工場の中が31℃くらいになる午後の時間帯がしんどい。
3時頃になるとへたばってくるので、とてもやってられないとアイスを持って、エアコンの効く事務所へ避難する。シャツを着替えて、汗を引かせ、からだを冷ます。ネットなどやっていると1時間くらいすぐたってしまう。
エアコンのなかった時代にくらべると・・・・ これってやっぱり贅沢なことなんだろうなと思う。でもこうやって昼間に休みすぎると、夜中まで仕事しなければならなくなる。疲れないように休み休みやると長時間労働は避けられない。僕の場合、土日祝日を休んでいると生活ができなくなるということははっきりしているので、基本的に休みはない。ちょうど仕事が途切れた時に日曜が重なれば休めるというくらい。あとは家族から要請のある日。それ以外はとにかく日銭を稼ぎ続けなければならない。

勤めているときは他人のせいにできるが、独立してしまうとそうはいかない。こんなふうにいつもいつも苦しいのは自分のやり方が悪いのか、世の中の仕組みが悪いのか、いまはもう追究する気もあまりおきない。家具をつくるうえでのミスは、どこにその原因があったのか、製作過程を振り返り、その個所を確実につきとめ、つぎにやるときに同じ間違いを絶対にしないと自分に納得させるまで考えるのに、こと経営のことについてはずいぶんとなりゆきまかせだ。自分も社会もたぶん両方悪いんだろくらいに思って、でも無様な家具だけはつくりたくないし・・・という気分だけが仕事のモチベーションになっている、そんな自分が暑さの午後、エアコンで涼を取るのはやっぱり贅沢なんだろうか。

なんかへんなはなしになってしまったけど、こんなこと考えているといつも思うのは、ニンゲンはTVもクルマもエアコンも携帯もネットもいろんなもん発明してきたけど、ちっとも楽になってないじゃん、ということ。ついこのあいだ何かで、昔の、たぶん19世紀だったかの学者が、人間の文明が発達すれば、人間は週20時間の労働で暮らせるようになると予言したというのを読んだが、ああそれはとんでもないハズレでありました。いや、でもふと疑念も湧く。世の中には株で生活してる人もいるのだから、週20時間で楽に生活してる人も実はいっぱいいて、自分がそういう世界を知らないだけなのかもしれず、それをさして世の人は格差社会と言っているのかもしれない。だとすれば自分はすでにその底辺に陣取ってしまったってことなのか。ああもうこんな話は終わり!
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by kobo-tan | 2011-09-17 18:20 | ものがたり | Comments(0)
2011年 09月 14日

こうちゃんからのハガキ

いとこの光治君、光ちゃんから転居通知のハガキがきた。

引っ越しました、の印刷文字の下に一行だけボールペンで、「どんどん遠くになります(笑)」と書き添えてある。
もう何年会っていないだろう。彼は40代後半の、れっきとした中年サラリーマンで、音楽をやっている。
営業職の定めか、千葉、名古屋、大阪と移って来て、こんど福岡に異動になった。先に単身赴任で様子を見て、準備が整ったところで奥さんと息子を大阪から呼んで三人の生活がはじまったところらしい。

彼はドラムを叩きながら歌う。
むかし、彼がまだ武蔵大学の学生で、軽音楽部の主将をやっていたとき一度だけ誘われて、神宮前のクロコダイルというライブハウスに聞きに行ったことがあるが、「When a man loves a woman」を、ジョー・コッカーのような嗄れ声で熱っぽく歌っていた。当時、彼が江古田、僕が南長崎のアパートに住んでいて、近いこともあって、わりと頻繁に会っていたように思う。江古田駅前のビデオ屋でバイトしていた彼が、Hなビデオをただでダビングしてくれたりした。


彼は、転勤になり新しいところに住みはじめると、すぐに音楽仲間を見つけて音楽をはじめる。そしてバンドを組んで、ライブをやるのだ。だから、彼がこれまで住んできた場所には、たくさんの音楽の友達がいる。
音楽はもちろんアマチュアだけど、(プロになろうとしたこともあったが、かなわなかった。)彼の仕事歴と音楽歴を比べてみると、音楽歴のほうがやはり重い気がする。彼から仕事は奪えても、音楽は奪えないだろう。それはたぶん、朝目が覚めたり、ご飯を食べたり、ウンコしたりするのとおなじようなことなのだ。そしてこれは確信を持って言えるが、仕事を通じて知り合った人よりも音楽で出会った人のほうがはるかに多いに違いない。彼は音楽を続けている限り、いくつになっても新しいひとと出会える。素敵だなと思う。



中島みゆきの「おまえの家」の「おまえ」は、食っていけないからと言ってギターをやめたけれど、もったいないことじゃなかったか。そんなに二者択一のように自分を追いつめなくてもよかったのに。
好きなことを、やればよかったのに。



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by kobo-tan | 2011-09-14 15:20 | ものがたり | Comments(0)
2011年 09月 12日

溝突き加工のこわさ

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抽斗の前板に手掛けの溝を掘る。

トリマーやルーターでもできるけれども、手っ取り早いしきれいなので、自分の場合ほとんど出丸カッターを取り付けた昇降盤で掘る。これが怖い。以前、といっても随分前だが、一度か二度材料ごと吹っ飛ばされたことがある。さいわいケガはなかったと思うが、恐怖心は植えつけられた。端から端まで掘り通すのは何の問題もないのだが、途中から刃をいれるというのがどうしようもなくあぶない。不用意に硬い材を刃の上に落とすからそうなるので、それを防ぐには、ストッパーを確実に取り付けることと、ゆっくりと同じスピードで慎重に材を刃の上に落としてゆくことを実行するしかない。このくらいならなどと甘く見て、ストッパーなしでやりはじめたりするのが失敗のもと。ストッパーを確実につけるようになってからは一度も飛ばされたことはない。


まれに、長い鴨居や敷居の溝突き加工で途中で溝を留めなければならないことがある。そんなときは当然ストッパーなどつけられない。で、どうするかというと、まず先に材のほうを昇降盤の刃口の上に置いて、それから刃を上昇させて溝を入れていく。所定の深さになるまでに昇降ハンドルを何回まわさなければならないかを先に実験しておぼえておいて、材を置いて、ハンドルを1回、2回、3回・・・と回していって、・・・9回、10回で止めてから材を動かし始めるわけだ。止める時も今度はさっきの逆で、止める位置まで来たら、1回、2回・・・と下ろしていって10回で止める。そのくりかえし。
なんとも原始的な方法だが、これに勝るやり方はない。ルーターでやるよりも結局きれいだし早い。そしてなにより安全だ。カッターでしくじるとどうなるか。指の2~3本なんて一瞬だ。


で、抽斗の前板程度だったら、写真のようになにがなんでもストッパーを取り付ける。そして、安定して材を送るために、縦定規に背の高い補助板を取り付ける。それでも材を入れる時にはいやがうえにも神経が集中する。

そしてすべての加工が終わると、ほっとするのです。

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抽斗の取り付けもすべて終わり、キッチンバックカウンターは完成です。天板のコーリアンは別注で、現場取り付け。
抽斗レールは今回もハーフェレノヴァクラシックプロ。
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by kobo-tan | 2011-09-12 22:52 | ものがたり | Comments(2)