つくりものがたり

kobotan.exblog.jp
ブログトップ

<   2011年 10月 ( 10 )   > この月の画像一覧


2011年 10月 28日

ひたぶる心


d0169209_11464110.jpg近世の国学者、賀茂真淵の歌論「歌意考」のなかに、次のような一節がある。


   あはれあはれ、上つ代には、人の心ひたぶるに、なほくなむありける。心しひたぶるなれば、なすわざも少なく、事し少なければ、言ふ言の葉もさはならざりけり。
  しかありて、心に思ふことある時は、言にあげて歌ふ。こを歌といふめり。


「上つ代」は上代、奈良時代ごろまでをいう。「ひたぶる」とは、しゃにむに、一途に、率直で、「なほし」は「直し」、ゆがんでなく真っ直ぐなこと。その頃の人々は、行動も単純であったので、それを表現する言葉もそんなに多くはなく、複雑ではなかった。そして、心に感じることがあれば、それを言葉に表して歌う。これを、歌と呼んだ。


   かく歌ふも、ひたぶるに一つ心に歌ひ、言葉もなほき、常の言葉もて続くれば、続くとも思はで続き、調ふともなくて調はりけり。かくしつつ、歌はただ一つ心を言ひ出づるものにしありければ、
  いにしへは、ことと詠むてふ人も詠まぬてふ人さへあらざりき。


 歌うときは、一途に、一つの心で歌い、言葉も、率直な、日常の言葉を使ったので、ことさら続けようと思わなくても続き、調子を調えようと思わなくても調っていた。このように、歌はただ一つの心を言葉に表すというだけのことだったので、いにしえは、歌の詠み手か、詠み手でないかという区別もなかった。

江戸中期の人、賀茂真淵には、上代の人々がもっていた「ひたぶる心」を自分たちはもう失くしてしまったという意識があったのかもしれない。時代が下るほど、人々の心も、人々をとりまく社会も複雑さを増し、ひとの意識の階層も増えていった。そのようにして、人の心も社会も変遷する。どちらが良い悪いの問題でもないだろう。「ひたぶる心」はしばしば間違いも犯す。大きな力に利用されることもある。自分たちの周りを見渡して、「ひたぶる心」が見つからないからといって、それほど嘆くことでもないかもしれない。なにかを為すときは、様々の状況を斟酌し、用意周到に準備をして、冷静沈着にことを行えばいいだけである。

しかしそれでも、と思う。「ひたぶる心」を取り戻したい。
変化の速い時代の流れに次々に適応し、自分のいる場所だけを守り、生き延びることだけに腐心する、そんな人生がなんだろうと思う。自分の思うことを信じて、周りの変化に動じず、ただひたむきに愚直に生きてゆく人生もあっていいだろう。そして「ひたぶる心」は、小さな、利己的な心ではないだろう。むしろ自分を顧みない、なにかのために生きようとする心であるのだろう。

ひとがその人生の終わりの時にあたって、思い返すことはなんだろう。
自分はここまで、うまく大過なくやってきた。幸せな人生だった。という思いか。
それとも、自分は自分の思いに賭けて生きてきた。こうとしか生きられなかった。という思いか。
「ひたぶる心」は、さあ、どっちにするんだ、選べと決断を迫ってくる。
[PR]

by kobo-tan | 2011-10-28 13:50 | ものがたり | Comments(0)
2011年 10月 25日

化粧品販売カウンター

 
大手化粧品メーカーの店舗用販売カウンター。
さほど大きくはないそれを2台つくるのに朝から夜中まで働いてまるまる1週間かかってしまった。

d0169209_22294166.jpg

d0169209_22365921.jpg


10/16 Sun.
手のかかることその①はパネル内部を通る電気コードの通線。
芯を組むときに綿密に計算しておかないと確実に失敗するので、慎重にすすめる。

d0169209_22395744.jpg


10/17 Mon.
表裏、両面遣いなのでダボ穴、棚柱の細工も、パネル1枚で、2台分。

d0169209_2242650.jpg


しかも、白のツヤありだ。キズがつかないように、これも慎重にすすめる。

d0169209_23185937.jpg


10/20 Thu.
やっと半分ほど組みあがった。

d0169209_23242520.jpg


直交するパネル2枚を貫く電線を通しながら組んでゆく。

d0169209_23273377.jpg


やっと、天板まで到達。

10/22 Sat.
チャーター便が引きとりに来る当日。
21日深夜、というより22日早朝は5:30までやって徹夜。腹が減ったので家に帰りまず風呂、そして晩飯(朝飯)を食べてソファーで2時間弱眠り、また工場へ車で20分。9:30には続きにかかっていた。
福島からのチャーター便の運転手は、気立てのいい優しい兄さんで、約束の午後5時より4時間も前の1時頃にやってきて慌てたが、近くに止めて休憩して待ってますとニコニコ顔で言ってくれたので助かった。昼飯もカップラーメンで済ませがんばったが、完成はさらに3時間遅れ8時頃になってしまった。おくれてごめんねと携帯に電話すると優しい兄さんはすぐ大型4トン車でやってきて、来た時と変わらぬニコニコ顔であった。こういうときはほんとうに人柄に感謝したくなる。嫌味のひとつも言われて当然なのに。ありがとう、兄さん。

d0169209_235502.jpg

d0169209_23562045.jpg

d0169209_23565493.jpg


d0169209_2358088.jpg
d0169209_23582826.jpg

この丸テーブルの大手(側面)のこちら側の真ん中にメラミンのジョイント・ラインがあるのだが、写真では見えていない。うまくいったということ。
[PR]

by kobo-tan | 2011-10-25 00:05 | 製作過程 | Comments(0)
2011年 10月 18日

表現

d0169209_1328251.jpg人間の行為を、すべて表現としてとらえてみたいと思う。

いや、それは、意図的、主体的な行為である必要はない。ちょっと疲れて、椅子にぽつねんと2時間座っているのでもいい。昨日からの歯痛で、時折やってくる痛みをこらえているのでもいい。生活苦から、辛そうな顔をして毎日暮らしているのも、あれもこれもすべて表現である。


だからどうした。
こう言われても答えようがない。そういうふうに捉えてみたらどうだろうかというだけのことである。

この見方を教えてくれたのは、古くからの年長の友人で、舞踏の踊り手であるHさんだ。彼は長い間に、いくつもの新しい視点を僕に教えてくれた。彼はいつだったか、もうずいぶん昔、「全部、その人の、表現なんだ」と言った。そのとき、なにか少し開ける感じがした。

なんの表現なんだ。
さあ、なんの表現なんだろう。
そもそのひとは、その行為によってなにかを表現しようとしているのだろうか。
でも、すべてを表現ととらえるということは、すべてが表現ということだ。
彼は2時間椅子に座って、何を表現しているのだろう。
歯痛で顔をゆがめている彼が表現しているのは痛みだけだろうか。
新しい視点は、こんなふうに思考をうながしてくる。

表現ととらえれば、そこに、それを見るひとの存在がうかびあがってくる。
あなたのことなんか誰も見ていない。だれもあなたに注意を払ってはいない。これは真実だ。
しかしまた、
だれかが、どこかで見ている。あなたのことを見ている人がいる。というのも真実だ。
じっさいに誰かが見ているかどうか、というのはこの場合さして重要ではない。大切なのは、自分がそう思えるかどうかだ。
誰かを、絶対者とおきかえるなら、それは表現から信仰に変わる。

表現であるなら、そこに演じるという要素もでてくる。
この歯痛は、私にとって切羽詰まった、ぎりぎりのものであって、演じるなんて、とてもそんな余裕は…
これについては、かのドストエフスキーが1世紀も前に、こう書いている。

  おあいにくさま、歯痛にだって快楽はあるさ、と僕は答える。まる一月、歯痛を病んだ経験から、ぼくはちゃんと知っているのだ。もちろんこの場合は、黙々と憎悪を噛みしめるわけにはいかず、うめき声をあげることになる。だが、こいつはすなおなうめき声ではなくて、悪意のこもったうめき声なのだ。そして、この悪意こそ曲者なのである。このうめき声には、苦しむ人間の快楽が表現されている。・・・(「地下室の手記」江川卓訳 新潮文庫より)

いやはや。
そうだったのか。

ぼくはすこし、自由になった気がする。
ひとは苦しみのときでさえ、その表現に賭けることができる。
[PR]

by kobo-tan | 2011-10-18 14:50 | ものがたり | Comments(0)
2011年 10月 18日

よき細工は

d0169209_1153810.jpg
  徒然草二二九段は、


 
 よき細工は、少しにぶき刀を使ふといふ。妙観が刀はいたくたたず。


  
  これだけである。
  よき細工は、すぐれた職人・名工。妙観は、その時代の、名人と言われた仏師のこと。意味は、読んでのとおり。

いい職人はいい道具を使うのが道理。この文は道理に反するのでみな首をかしげる。そこでいろんな解釈が生まれ、小林秀雄から白洲正子まで多くの人がそれについて書いた。ネットでちょっと検索するだけでもいっぱい出てくる。(ためしに検索してみてください。)


でも思うんだけど、そんな解釈は全部つまらないんだ。これはね、これこれこういうわけさ。なーるほど。で、おしまい。

あー、つまらない。

終わってしまう。徒然なる世界が終ってしまうじゃないか。
ここにはなにかある。なにか秘密がある。それはなんなんだ。この問いをずーっと持っていたい。その問いを持ちながら暮らすんだ。
そしたら、いつか、なにかがわかるかもしれない。なにかがひらめくかもしれない。
あーっ、そうだったのかって。おどろきとともに、大きな了解が生まれるかもしれないのだ。


あっ、そうか、ってギリシャ語で「へウレーカ!」って言うらしい。英語なまりだと「ユリイカ」
にんげんは昔から問いを立て、考え続け、なにかに気づき、こう叫んできた。

あっ、そうか! へウレーカ!


徒然草に戻ると、この短い章は、なにか魅力があるんだな。
なにかの暗喩だろうか。
でもとりあえずこの味わい深いことばをことば通りにうけとりたい。
解釈するのは、つまらない。
[PR]

by kobo-tan | 2011-10-18 02:14 | ものがたり | Comments(0)
2011年 10月 14日

鎌倉SUGATA 再訪 ~ 6つの来し方行く末

d0169209_15215295.jpg

ちょっと動くと汗ばむほどの10月とは思えない陽気で朝から半袖ポロシャツです。
鎌倉由比ヶ浜の海も、波頭が陽光にキラキラと輝いて夏の海かと見まがうばかり。

d0169209_15323712.jpg

鎌倉SUGATA再訪とはまたえらそうな書き出しだけれども、先週7日の建具取り付けのときに、二つあるトイレのうちのひとつの扉のレバーハンドルを、うっかり鍵なしの空錠で用意してしまったため、申し訳なかったのだけど一週間は「コンコン、はいってますか?」「コンコン、はいってます」でがまんしてもらい、今日やっとトイレ用の「表示錠」というヤツを取り付けに来たのです。

d0169209_15375663.jpg

これは、10/2「ガラス落とし込みの建具」で掲載したベイマツの玄関ドア。保護塗料として、キシラデのクリア「かがやき」を塗ってます。

d0169209_15432018.jpg

こちらも。 ガラス枠は、9/19「ベイマツを削る」に載せたヤツです。

d0169209_15471439.jpg

表示錠と言っても、この、ハンドルの上についてる、ただこれだけのことなんですけど…

d0169209_15491877.jpg

大手から見るとこうなってます。で、なんとなくお分かりだと思いますが、中をきちんと、正確に、くり抜かないといけないわけです。現場で、目立つ粗相をせずに、まちがえずにこれをやるのは本当に大変です。僕はやはり専門は家具のほうなので、そうとう集中してやります。断言しますが、これは素人には無理です。もしそういうときがあれば、なまじ自分でやろうなんて考えないで、プロにたのむべき。建具の吊り師さんてほんとうにえらいと思います。

d0169209_1612634.jpg

最後の難関はこれ。 枠側の「ストライク」というやつ。鍵がカチャッとおさまる穴ですね。
すぐ横に戸当たりがすでについているのでトリマーは使えず、プレート用の浅彫りは、鑿(ノミ)による手作業。穴はドリルで少しずつ崩していって空けます。

d0169209_16104396.jpg

こうなるわけですけど、おさまってみれば、なんてことはないわけです。

d0169209_1612281.jpg

きょうのたたかいの痕跡です。

d0169209_1614145.jpg

ヨガをやる部屋です。正面ミラー張りの右側のほうは僕らがつくってきた建具にミラー張りしてあります。

d0169209_1617173.jpg

d0169209_16173017.jpg

こんなかんじです。


閑話休題

きのうYouTubeで見つけたのがこれです。
森山良子が鈴木慶一と一緒につくったということで聞きたかったのです。

森山さんがムーンライダーズのTokyo7というアルバムを聞いて、その終曲の「6つの来し方行く末」を聞いていて涙があふれてきて、何度も何度もくりかえしきいて、この曲を自分も歌いたいと思ったという、その曲です。

鈴木慶一60歳。森山良子63歳。やっぱりこんな曲は、若造には逆立ちしたってできっこないでしょう。ミディアムテンポの、Fかなんかのメジャーの循環コードで、単純なメロディーなんだけど、だからこそじわじわくるんでしょうね。きのうから何度聞いたでしょうか。自分は感傷的な人間ですから、もういけません。聞くたびに泣きそうになります。

詩の世界は、全体にストーリーがあるわけでなく、とくに整合性もありません。本家のムーンライダーズは、メンバー6人がそれぞれうたったらしいので、おそらく6人の、人生に対する感慨が、ほとんど2行ごとのつぶやきのコラージュとなってつながってゆくだけなんだけど、詩ってほんらいこういうものなのかもしれない。なんの説明もしないし、押しつけもない。

わからないひとにはわからないだろう。そこに憤るようなひとにはおそらく死ぬまでわかるまい。哀しいけれどそうなのだ。だけどこころを開いたら、すこしはわかるかもしれない。

ついつい書いてしまったけれど、わすれてください。
すべてをわすれて真っ白になって、聴いてみてください。


[PR]

by kobo-tan | 2011-10-14 17:11 | 製作例 | Comments(0)
2011年 10月 13日

秋です。

12日は川崎二子新地のマンションへ家具と建具の取り付け。
わりと順調にすすめたのだけど、家具も建具もそこそこの量はあり、取り付け終わる頃にはあたりは早々とうす暗くなっていた。
もう秋なのでした。

d0169209_12493180.jpg

引きこみ式吊りガラス框戸
d0169209_12502795.jpg

キッチンバックカウンター
d0169209_12505458.jpg

上吊り戸
d0169209_12513081.jpg

左側は三面鏡

d0169209_12554170.jpg

奥行き470mmと狭かったのに、この洗面ボウルよく入りました。(苦労して入れたんだけど)

d0169209_12582752.jpg

押入れ建具も天井の溝にじかに差し込む変形ものです。
灯を持っているのは、いつも手伝ってくれる須籐くん。よく機転もきくので助かっています。



櫨の葉紅くて入り日色
小さい秋はどこへ誘ってくれるでしょうか。


[PR]

by kobo-tan | 2011-10-13 13:42 | 製作例 | Comments(0)
2011年 10月 11日

マントの男 ~ A Case of You

d0169209_13214059.jpg

ラワンランバーの木目模様のなかから

d0169209_1323649.jpg

マントの男がでてきた。

明日はマンションリフォームの、家具と建具の取り付けで、ちなみに洗面室は現状こうなっています。

d0169209_1333985.jpg

変形吊り戸棚は一本でいっきにはめます。写真はさかさです。

d0169209_13371914.jpg


吊り戸の下は薄型収納+三面鏡です。
d0169209_13423666.jpg


d0169209_13432630.jpg

扉と鏡の間の、両面テープによる1mmのすき間も、クリアシリコンでコーキングします。

d0169209_13465251.jpg



Joni Mitchell の A Case of You を見ていて、Diana Krall を見つけました。
以下、たわいもない男のつぶやきです。女性の方たち、不愉快だったらごめんなさい。

「知らなかったな、ダイアナ・クラール。不覚だったな。
 かっこいい女、ひさびさに見た。
 おんなっぷりでは Sophie Milmanに勝ってるな。
 歌ではいい勝負だな。ピアノがうまいな。
 あまり笑わないところが、痺れるな」



この映像は、Live in Paris のDVD かららしいけど、このカメラと編集にも痺れます。
たとえば、
顔のクローズアップ以外の引きの絵では、パンしたり、ズームアップしたり、ズームダウンしたり、クレーンの移動をしたり、かならずカメラが動いてるでしょ。フィックスの絵はひとつもない。
演出プランを練って、狙って撮っています。 だから、絵が生きている。
こういう仕事を見ると、うれしくなります。
[PR]

by kobo-tan | 2011-10-11 14:27 | ものがたり | Comments(0)
2011年 10月 09日

It's not the spotlight

10月7日は鎌倉下馬のヨガスタジオに建具の取り付け。
天気の良い金曜日だったので、昼食後、御成り通りのinuit furnitureにふらりと寄ってみたらちょうど店主の犬塚さんが帰ってきた。

d0169209_1455368.jpg


d0169209_1462753.jpg


ウィンドウのなかに懐かしいものを見つけた。

d0169209_1475699.jpg


夏がはじまる頃、犬塚さんにヒントをもらってつくった鍋敷き。
店内には、苦労した五芒星型も。

d0169209_1525771.jpg


これはきょうのJ-WAVE BOOK-BARで流れた曲




流れてきて、しばらくしてわかった。 あああの曲だ、むかし浅川マキがうたった「それはスポットライトではない」だって。
フォーク調に歌っているこのひともなかなかいい。 Beth Ortonというイギリスの歌い手らしい。

 
 もしも光が またおいらに
 あたるならそれを どんなに待ってるさ
 ずっと前のことだけれど その光に
 気づいていたのだが 逃しただけさ
 だけどふたたび いつの日にか
 あの光が おいらを照らすだろう

 あの光そいつは 古びた街の
 ガス灯でもなく 月明かりでもない
 スポットライトでなく ろうそくの灯じゃない
 まして太陽の 光じゃないさ

 あの光そいつは あんたの目に
 いつか輝いて いたものさ
 またおいらいつか 感じるだろうか
 あんたは何を 知ってるだろうか


1977年に金子マリが歌ったこの曲もすばらしいが、最後にマキ+つのだひろの、アルバム「灯ともし頃」(1976年)に入っていたこの曲を聴くと、やっぱりこれは、浅川マキだな、と思う。
西荻窪のアケタの店に機材を持ち込んでの一発録り。たしか、オルガンで坂本龍一が参加してたんだよな。
つのだひろの歌とドラムも、いい。 歌って、こういうもんだ。




[PR]

by kobo-tan | 2011-10-09 02:21 | ものがたり | Comments(0)
2011年 10月 04日

あなたの心が裸になれば、観客はかならず受けいれてくれる


少し前の朝日の夕刊に、女優の中谷美紀が、井上靖の小説「猟銃」の舞台化作品をもってカナダ・モントリオールで数日間の公演を行ったという記事があった。舞台での演技は初めての経験であったにもかかわらず一人三役をこなす熱演で、言葉のわからないカナダ人の観客たちが舞台袖に流れる字幕を見るのを忘れるほどであったらしい。その中谷が演出のフランソワ・ジラールから言われたことばとして紹介していたのがこれだ。

「あなたの心が裸になれば、観客はかならず受けいれてくれる」

ウーン、こういうことばには唸ってしまう。いいことばだ。
じっさい、モントリオールの公演ではそうなったようだから、中谷美紀の心は裸になったということなのだろう。体ではない。心がだ。
どうもこのあたりに、「演じる」ということの秘密があるような気がする。

「解放されてない役者なんか誰も見たいと思わないでしょ」

これは以前NHKで放映された大竹しのぶのドキュメンタリーで彼女が言ったことば。
心が裸になるということは解放されるということなのだろうか。
いったい「何から」解放されるのか。

心が裸になるということはうそをつかないということなのか。
心が裸になれるまでは人はうそをつくのか。
演じるということはうそをつくことではなかったのだろうか。

迷路だ。
いや、ちがう。
いったんすべてを捨て去るということだ。
[PR]

by kobo-tan | 2011-10-04 01:12 | ものがたり | Comments(0)
2011年 10月 02日

ガラス落とし込みの建具


d0169209_2245027.jpg


落とし込みはふつう上框も下框も2枚ホゾでこしらえて、上框だけあとで真ん中から2枚に割って、ミゾと同じ幅の通り道をつくってやるのだが、今回は材料の関係で、上框ははじめから2枚の薄板に薄いホゾをつけてつくった。
下框はふつうに大きな角ノミで掘った1枚ホゾにしたので、ホゾのセットが2種類になり、少し煩雑になってしまった。

d0169209_22593228.jpg


建具2枚分のパーツ。

d0169209_231771.jpg


上のほうに3mmほどの「ホゾの切れっぱし」のようなものが残っているのは、小根ホゾ(こねほぞ)といって反りやねじれを防ぐためによくやるやりかた。

d0169209_2310459.jpg


ホゾ穴のよこの浅い溝にはいる。建具は上面も下面も見えないのでこの方法が使える。

d0169209_23182127.jpg

d0169209_23185396.jpg

d0169209_2319542.jpg


台が狂ってきた鉋は刃を出してもなかなか木肌を拾わないので、台直し鉋で台を削ってあげる。

d0169209_23283562.jpg


組みあがって目違いを払って本体部分は完成。

d0169209_23261010.jpg

[PR]

by kobo-tan | 2011-10-02 23:34 | 製作過程 | Comments(0)