つくりものがたり

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2011年 11月 30日

湯呑み茶碗いっぱいのお湯と、角砂糖

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いまは学生街に、昔ながらの下宿屋なんてあるのだろうか。

玄関、入口はひとつで、廊下があり、だいたい薄いベニヤの粗末なフラッシュドアの開き戸がいくつかあって、その向こうの部屋が自分の領分となる。洗面所やトイレは共同、風呂は銭湯で、食事は賄いがつくところもあったりする。昔の東京、といってもぼくが知ってるのは80年代までだけれど、その頃は学生街でなくても、学生の多い東京にはいたるところにそれに近いアパートがあった。


1983年にぼくは、山川直人監督の自主製作短編映画を、助監督のひとりとして手伝ったことがあるのだが、その実写アニメーション仕立ての一風変わった撮影の大部分をやったのも、一緒に助監督をやった親友のT君が当時住んでいた、新宿百人町の、学生下宿のような古びたアパートの三畳間だった。監督の山川さんとT君とぼくは、そこのT君の部屋に、ロケーション撮影が終わってから、一週間だったろうか二週間だったろうか、いまはもう記憶も定かではないが、撮りためた900枚に及ぶキャビネ版のスチール写真と一緒に朝も昼も夜もこもって、セロファンの切り貼りと、アニメっぽいコマ撮りと言う撮影を、延々とやっていた。しかも、そのコマ撮り撮影は、T君の部屋のとなりのたまたま空いていた三畳の部屋をこっそり使わせてもらって、そこに炬燵でつくった即席の写真撮影台と、三脚に据えたスク―ピックという16mmカメラを持ち込んで、大家さんに見つからないようにひやひやしながら、1.2.3…あれ、いま何コマ撮ったっけ、なんていいながら、寝不足でもうろうとなる意識を引っぱたいて、なんとか撮り終えたのだった。(村上春樹原作のその短編映画「100%の女の子」はいまアマゾンで買うことができます。)


まあ、ノスタルジーと言えばそうなのだけど、そんなアパートが町なかにあった時代は、またひととひとのつきあいかたも、ひとの捉え方も違っていたという気がするんだな。

たとえば、加川良が1972年に出したレコードのなかに入っているこの「下宿屋」という曲。



加川良が「彼」といっているのは、加川がマネージャーをやっていた高田渡で、この歌は、ほとんど恥らいを含んだ愛の告白のようだ。良さんが高田渡のことを好きで好きでたまらないことが痛いほど伝わってこないだろうか。渡さんが、湯呑茶碗いっぱいのお湯を良さんに渡して、そこの角砂糖でもかじったら、なんていう。良さんはそれをありがたく受ける。部屋のなかには、ラーメンの香ばしいにおいが漂っていて、そのなかに、いつも誰かを待っている風情の高田渡がいる。 ああ、いいなぁ。こんな光景が、むかしはたしかにあった。


その後、良さんと渡さんは袂を分かって離れていた時期もあったようだが、渡さんが2005年に亡くなる前には、また仲良く共演したりもしていた。亡くなったあと、BSで放送された良さんのステージで、渡さんの「生活の柄」をうたったとき、良さんはこんなことを言った。



良さん、素敵です。
ぼくも、渡さんと良さんを、あらためて聴き直してみようと思います。


追記)実は、渡さんは良さんよりも一歳以上も若かった。不思議なことです。
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by kobo-tan | 2011-11-30 17:47 | ものがたり | Comments(2)
2011年 11月 28日

LIKE A ROLLING STONE

d0169209_10155697.jpg11月21日にオウム真理教事件のすべての裁判が終わった。

ぼくはべつに裁判を傍聴したこともないし、自分にかかわる問題として積極的に事件の経緯を追ったりしていたわけでは全然ないので、それについて何かを述べるなどはおこがましいようにも思うけれども、結審に際しての新聞報道や、何人かの人のコメントなど読むにつれ、やはりある感慨は湧いてくる。

少数の特殊な人間たちがつくった特殊な集団が引き起こした異常なテロ事件として、ひとびとはなんとか自分と自分の関わる世界から切り離して解釈して済ませようとするのが、やはりごく普通のぼくたちの反応だろうとは思いつつ、その報道に接して一連のサリン事件の異常さとともに、「マインドコントロール」された信者たちの群像があまりにおぞましく、オウム関連本や映画は売れないという編集者の指摘からも納得させられるのだが、ぼくたちはなぜそれが起きたのか何とか理解してみようという気持ちになるより先に、嫌悪感にとらわれて見ること考えることを放棄してしまうのかもしれない。

でもこれはやはり、16年前に、起きるべくして起こった事件であるのにちがいない。

オウム事件の裁判の被告たちは、ぼくとほぼ同世代、1960年前後の生まれの人間たちだ。60年代末から80年代初め頃まで学校教育を受け、就職し、社会に出た。80年代のメディアからは「新人類」などというレッテルも貼られた。1960年以降の生まれの人間たちは、それ以前の世代の人間から見ると断絶感が強かったのだろう。ものごころついたときには家のなかにテレビがあり、とりあえず社会は貧乏からなんとか脱しつつあり、誰もがなんとなく、たくさん作ってたくさん買えば何とかなるんだという価値観に吸いとられていった時代。

ぼくらが大学にいたころからすでにキャンパスではカルトというものにたいする警戒は強かった。逆に言うと、ぼくたちは多かれ少なかれ、カルトに絡めとられてもおかしくないようなこころの空洞を抱えていたということだと思う。学生運動はもう完全に下火で、体育会系の部活も敬遠され、テニスなどを軽く練習してあとは駄弁るサークルが盛況となり、ポパイなどと言う雑誌が流行った。カルトに頭を突っ込む学生は、むしろ真面目な人間だったということもできるだろう。彼らがもう少し教養豊かで、ものごとは見る角度によっていろんな見方ができるということを知っていたら、あるいはもっと天邪鬼であったなら、そんなものに絡め取られずに済んだのだろうけれど。

ぼくらの世代から、はからずもオウムが生まれてしまったように、団塊の世代には連合赤軍事件があった。朝日のコラムで、漫画家の山本直樹氏が指摘していることはいろんなことを考えさせてくれる。連合赤軍もオウムも、メンバーたちが「世の中をましにしよう」と真面目に頑張った結果、徐々に外部と向き合う視点を失い、気がついたら人がたくさん死んでいた。外部との接触を失ううちに、閉鎖的な環境のなかで、言葉だけが暴走していった。彼はこの「暴走する集団」の問題は、どんな時代にも、過去にも現在にも、世界のいたるところで起きていると指摘する。結局、集団は集団自体が生き延びるために、集団を支える理屈の整合性を最優先し、個人を圧殺してゆく。思いつくもっとも大きな例は、太平洋戦争末期の日本と、ナチスドイツ。その運動体のなかではひとは一個の歯車と化してしまい、あの状況のなかであの地位にあったら、人は誰でも同じことをするはずだと言ったアドルフ・アイヒマンになるよりほかはない。

そうならないためにはどうしたらいいのかと言ったら、とりあえず単純なことしか思い浮かばない。個人が、外部と、他者と、生き生きとした接触を、毎日毎日倦むことなく続けていくよりほかはないのだろう。そう考えると、いまの、この2011年の状況は、連合赤軍やオウムを生んだ時代よりももっと、その危険性を孕んでいると自覚したほうがよさそうだ。

たとえばこのブログのことを思ってみたりする。今はいい時代だ。人が文章を書いて、それを手紙でなく、(手紙は特定の個人に行きつけば終わりだから)不特定多数の人間に読んでもらおうと思ったら、少し前までは、まず原稿を書き、原紙を切り、インクと紙を用意してガリ版で刷り、印刷物をたくさんの人のもとへ届けなくてはならなかった。いまはもう、想像するだけで怖ろしいようなことだ。しかし昔は、他に方法をもたないから、ひとは労を厭わずそれをした。それがいまは、ネットというもののおかげで、瞬時にそれができる。それで、思いついたこと、考えたことをブログというものに書く。検閲などというものがあるわけじゃなく、何を書いても自由だから、たまにはこんな文明批評めいたようなことも書く。これから後は想像だが、もちろん、全部の言葉に目を通して、好意的に読んでくれる人もあるだろう。でももしかしたら、家具の写真が載っていない記事は、ほとんど読まないですっ飛ばすひとが大半なのかもしれない。なにせぼくは、たいして売り上げもない、一介の家具職人にして個人事業主に過ぎないのだから、べつにあんたがそんなこと考える必要はないさ、そんなことはテレビとかに出る評論家がやればいいことであって、あんたは家具作ってればいいのさと考えるひとが大半であってもおかしくはない。多くの人はおそらくそうやって、自分の考えるべきこと、自分が動ける場所の境界に壁をつくって、自分の生活を守っているのだろうから。

でもその意識、その気持ちの向かう先には何があるのだろう。
なにか豊かな、幸福な風景が見えるだろうか。
人が集まれば、場の空気を読む能力のある「社交性のある」人間だけが嬉々としてしゃべり、そうでない者は何を話せばいいのか分からず、まごまごして手持無沙汰に時間をつぶす。僕たち日本人は、バブルの頃まではかろうじてあった自分たちの共有するものがたりを失って久しい。自分たちが今、何を目指しているのか、どこへ向かおうとしているのか知っている者はひとりもいない。だからなるべく、むずかしいことは考えず、人々は計算ばかりしている。コレとアレではどっちが得か。いまこれをやるとあとでどんなリスクが…  茫洋とした風景を前に立ち尽くすぼくたちの後ろには、何かと引き換えに、やすやすと手放してきた取り返しのつかないものたちが堆積している…

原発はもういらない。
リニアも高速ももういらない。
それを直観だけで言ったらいけないのだろうか。レポート何百ページに及ぶような損得計算書をつくらなければ合意は得られないのだろうか。原発の判断は、福島の惨事と、あの増え続ける膨大な核燃料廃棄物の写真だけでは不足なのだろうか。

ボブ・ディランのライク・ア・ローリング・ストーンをぼくは昔、安心して聞くことができた。なぜかというと、自分が話者の立場、どんな気がする?と問い糺す方の立場にいると思っていたからだ。
でも今はこの曲を聞くと妙にひっかかる。それはたぶん、どんな気がする?と問われている方に今僕たちがいるんじゃないかと思えてきたからなんだ。


  むかし あんたは いい服を着て
  わかかったとき 乞食に銭をほうってやったね
  みんないってた「気をつけろ落ちるぞ」と
  でも みんなで からかっているだけだ とおもっていたろう
  よく わらいものにしたね
  うろついているやつらを
  いま あんたは大声でしゃべらない
  いま あんたはじまんもしない
  つぎの食事を どうやってごまかすかについて

  どんな気がする
  どんな気がする
  うちがないことは
  ぜんぜん知られぬことは
  ころがる石のようなことは


  どんな気がする
  どんな気がする
  ひとりぼっちで
  かえりみちのないことは
  ぜんぜん知られぬ
  ころがる石のようなことは
       

                         (片桐ユズル訳より抜粋)
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by kobo-tan | 2011-11-28 14:26 | つぶやき | Comments(0)
2011年 11月 28日

つくりもの




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昨夜できたつくりもの


元麻布ヒルズのなかの、4室のなかの、洋服ダンスのなかの、下のほうに置かれて、
たぶんシャツや、セーターや、マフラーや、手袋が入れられることになる大きな2杯抽斗。
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by kobo-tan | 2011-11-28 10:02 | 製作例 | Comments(0)
2011年 11月 22日

降り積もる言葉

d0169209_181022100.jpg見知った顔のひとたちに「寒いですね」と言える日がやっと多くなった。今日は11月22日だ。立派な晩秋なんだものなぁ。でも先日の日曜のように、日中は半袖で過ごしていたような陽気の日もある。みかんは、11月がいちばんうまいと思う。10月のみかんのように青いのがなくなって、小ぶりだが皮が薄くてとびきり甘いのが出回るのが11月だ。僕はその小さなみかんを、ひと口でほおばって、もぐもぐ噛んでは甘い汁を迸らせ、ごくりと一気に飲み下すのが昔から好きだった。でも今年は、 11月後半になっても、スーパーで見かけるみかんから青みがなかなか抜けきらない。

17日に、ポリ袋をかぶせて、埃だらけになっていたストーブをひっぱり出した。 コンクリ床の工場に入って行ったときに寒さを感じたからだが、 温度計を見たらそれでも13℃くらい。点火して、去年の残りの灯油をしばらく燃やしてみたが、少し手と体を動かして作業するとすぐに汗ばんできたので消した。それ以来二度目はまだ点けていないから、今年はやはり暖かいのだろうか。ブログ記事によると、去年は10月28日に出していた。


ブログ記事と言えば、去年6月に始めたこのブログの、その6月の記事はめっぽう多い。要するに、暇だったのだ。暇だったのでブログをはじめようという気にもなった。最初は書き方もわからなかったので(今だってわからないが…)いろんな人のブログを片っ端から開いて、おもしろいと思うひとのブログを参考にさせてもらった。そのときにその旨のご挨拶をメールでさせてもらった方のなかには、いまだにたまにメールのやりとりをする方もいる。でもやはり、はじめた頃のブログは、ずいぶんじたばたしている。何を書けばいいんだと告白してみたり、写真のレイアウトにやたらと凝ってみたり。この、写真と文の位置関係については、その後家内の小さなノート型のパソコンでそれを見る機会があり、ディスプレイの画面サイズが違えばその位置関係はズタズタになることを知っていじくるのをやめた。

去年はほんとうに暇な時が多かった。したがって収入も減った。サラリーマンじゃないのだからそれは当然のこと。減収を補填し、補償してくれるものは何もない。分厚い図面の束を、他のことは何もしないで、一週間もかけて見積りしたことがある。でもそれも実らなかった。実る実らないはめぐりあわせのようなものだから、その件についてはべつに何とも思っていないけれども、僕らの商売はつくってなんぼの世界だなぁ、ということを再確認させる経験ではあった。毎日とにかく手を動かして、何かをつくり続ける。ゆるゆるとまわり続ける独楽のようにひとときも休まずに。まわるのをやめたときには倒れてしまう独楽のように。

書きたいことはもっと他にあったのだけれど、そこへ到達するまでにはどうもまだまだ時間がかかりそうだし、言葉もいっぱい費やしてしまいそうだ。なんとなく書きたいことがあって、とりとめもなく始めてしまうと、ほんとうにとりとめがなくなって言葉はあっち行きこっち行きしてしまう。降り積もる言葉を、かきわけかきわけ、ほんとうに語りたい言葉を探しているうちに探し疲れてしまったように。やはりブログをやっている友人は、「思いが消えないうちにガンガン打ちこむ」と言っていた。この程度の文章なら、15分か20分程度で打ち終わるのだろう。僕の場合は、降り積もる言葉が邪魔で、思いを探して、探しあぐねている。思いはそのまま自分ということでもある。自分を探しあぐねている時間。てくてくと、あてどなく、散歩しているときのような時間。どこまでも非効率で、書いた僕にも、読んでくれたあなたにも、何ももたらさない時間。
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by kobo-tan | 2011-11-22 20:02 | つぶやき | Comments(0)
2011年 11月 22日

サンプルカウンター …出来上がるのか?

d0169209_1043812.jpg11/17  16:09

15日に作戦会議をやった大型サンプルカウンター。
ああでもない、こうでもないとなかなか製作方針が固まらなかったわけだが、この手のもので確実に言えることは、手っ取り早くすませようとしてあまり多くベタ芯(ランバー等の一枚板)を使うと重くなりすぎて持ちあがらなくなることだ。

だから面倒でも、内部の大型パネルは、芯材を削って芯組みし、フラッシュ(中空構造)にしなければならない。だから、組むときにどちらのパネルからどの向きにビスをもむかを(タテ勝ちにするかヨコ勝ちにするかを)決めていって、バカ棒にしたがって芯組みし化粧ベニヤとプレスして、まずすべてのパネル部材を準備する。これが第一段階の仕事になる。


写真は、内部をタテに貫くメインの背板をプレスしてるところ。
このプレス機、建具用の3×7サイズ(長さ2100mmまで)で、今回のような2400mm近いものは入らないので、片方を飛び出させて、出たところをクランプする。

なんともローテクだが、特注手作り家具なんてこんなものだ。



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11/20  08:43

やっと本格的に組みはじめる。引きとりの約束は21日の午前8時。今はその前日の朝8時43分。

これで間にあうのか?


なんでもっと早くやらないかと問われても、この手のものは組みはじめるまでにやっておくことがいーっぱいあるのだ。パネルを接続するための加工もいっぱいある。小さく組めるところは部分的にできている。









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たとえばこんなところ。

こちら側のビスの痕を隠すために組んでから化粧ベニヤを貼る。
それがパッパッとできるように、化粧ベニヤを両面テープで合わせた状態で、切りまわしをし、穴開け加工もやる。組むときはいったんはがし、そのあとずれないように気をつけてぴったりくっつける。

なーるほど、というようなことですが、これってけっこう難しくて、手間のかかることなんです。








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表側はこうなっている。

引きとり約束は、月曜の朝8時、このとき日曜の朝9時前。

実はこの時すでに徹夜をした。
朝4時頃家に戻り、風呂に入り、冷蔵庫にラップして入れてあるごはんと晩飯のおかずを温めなおして腹いっぱいにならないように食べ、(腹いっぱいになるとまちがいなく眠くなるので)その足で戻ってきた。



パネルの準備はすべてととのった。エンジンがかかってきた。






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11/20 16:15

天板裏の照明用掘り込み加工などもやって、夕方やっと天板が載る。














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11/20 21:47

両側板をくっつけて、パネルの接続を完了。やっと完成形になる。

これから、後ろ側(従業員側)、前側(お客さん側)、両側面、上側と、全部で5面、最後の化粧メラミンを貼ってゆく。その後に、抽斗一杯と扉一枚の加工・取付もある。

もう一瞬の躊躇も、ひとつの失敗も許されない。時間との戦いになってきた。


でも大丈夫。僕は勝負を投げてないから。明日の朝までまだ時間はある。 …あとはやるだけ。






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11/21 07:16

約束通り、カウンターは完成した。


前夜のメラミン張りは、従業員側 → 両側面 → お客さん側 → 天板 の順で貼っていったのだが、最後の天板を仕上げ終えたのが午前3時半。途中の要所要所は覚えているが、二日連続の徹夜で意識は朦朧、手順こそはずさなかったものの、記憶はとびとびで淡い。それでも出来上がったのは、人間の「慣れ」の力は侮れないということだ。頭は忘れても、手が憶えている。最初にすべて頭で考えなくても、ともかくやっていくと、次にやることが見えてくる。順番は、手が決める。

午前4時ごろから最後に残った抽斗と扉の製作をはじめ、7時頃には鍵の取り付けも終わった。






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表側はこんな感じ。

僕の場合、最後の24時間は、往々にして普段の3倍の仕事をする。
これもほんとは何とかしたいのだけど、これも性分だろうか。メリハリが効きすぎるというのもどんなものか。
師匠の下司さんはよくこう言う。頼りにしてるんだけど、出来上がるまでスリルがある、と。

あんまり、心配させないようにしなきゃ。










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大型の2tトラックに積み込まれたカウンター。

これから、元請け会社のある福島まで運ばれて、ガラス扉の取り付けと、電気の配線を終えたら、また東京に戻ってくる。



いまこの写真をながめていたら、ちょっとホロリ。
息子を送り出す父親のような気分になった。
「そんなとこに、ちんまりと乗っかってるじゃないか。
おまえはどこに置かれるんかなぁ。
これから、だいじにあつかってもらえよ。」
かなり感傷的な父である。
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by kobo-tan | 2011-11-22 12:45 | 製作過程 | Comments(0)
2011年 11月 15日

パズルと作戦会議とイライラする頭



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きょうは、これから始める大きなサンプルカウンターの作戦会議の日

簡単にはつくれないやっかいなしろものは、自分のなかの製作担当と、自分のなかの経理担当とで作戦会議をやる。
当然、主導権は、自分のなかに二人くらいいる製作担当が握ってるが、経理担当もなかなかに黙ってはいない。





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しかし、なんやねん、これ。
なんで設計しはるひとは、こんなごちゃごちゃしたもんを考えはるのやろ?パネルからパネルがにょきにょき生えてきてるみたいやんか。

どうしてもっと、つくりやすうにつくりやすうにて考えられへんのかな。なぁ。

いじわるしてるのかなぁ。




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ともかく、はよつくり方考えて、パズルやって、材料発注せなぁ、まにあわんくなるよぉ。

けど、ここ、茶色と白の貼り分けやん。めんどくさ。メラでやんのん?ポリでやんのん?

そら、ポリやん。そんな内側にメラ使うたらやりにくいし、どだい、高うついてしゃあないよ。

なぁ、ベタは天板だけにしとかんと、こんなでかいの持ちあがらんくなるぅ。

そうするか。芯組むしかないなぁ。手間やけど。



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なぁ。  これ、儲かんの?

…どうかな。 わからん。  これなんにち?

もうたいして日にちないやん。 また徹夜なんて嫌や。

しゃあない。 やるちゅうたもんはやらなぁ。 元気出せ。

あかんやん。 いっつもそうやんか。
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by kobo-tan | 2011-11-15 23:40 | 製作過程 | Comments(0)
2011年 11月 14日

黒田三郎の夜


d0169209_16224084.jpgこうやって
あなたがこのブログを開いてくれたのが、窓から陽の光が差し込む昼間だったら、ましてや、さあこれからがんばって仕事をしようなどと思っている午前中であったなら、どうぞいますぐこのブログを閉じて、なにもなかったように仕事へと頭をきりかえていただきたい。

これから書こうとしていることは、仕事をしようとやる気になっているひとをなんら励ますものではないし、むしろ読んでくれたそのひとをしばし物思いに耽らせ、たいせつなやる気さえ奪ってしまいかねないものだから。

だからもしよろしければ、夜、今日なすべきことをあらかた終わって、今日一日のことをぼんやりと振りかえる時間に、思い出して開いていただけたら、などと思います。



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黒田三郎の詩を、無性に読みたくなる夜がある。

黒田三郎は、1980年、31年も前に亡くなった詩人である。1919年生まれで、戦争でジャワに行った。終戦の翌年もどってきて田村隆一や鮎川信夫らが活躍した「荒地」の創刊に参加し、その後はNHKの職員をしながら、魂のあえぎ声のような詩を書き続けた飲んだくれの詩人。

もっとも彼らしいと思う詩のひとつを、少し長くなるが、ここに引用させていただく。


ただ過ぎ去るために

1

給料日を過ぎて
十日もすると
貧しい給料生活者の考えのことごとくは
次の給料日に集中してゆく
カレンダーの小ぎれいな紙を乱暴にめくりとる
あと十九日 あと十八日と
それを
ただめくりさえすれば
すべてがよくなるかのように


あれからもう十年になる!
引揚船の油塗れの甲板に
はだしで立ち
あかず水平線の雲をながめながら
僕は考えたものだった
「あと二週間もすれば
子どもの頃歩いた故郷の道を
もう一度歩くことができる」と

あれからもう一年になる!
雑木林の梢が青い芽をふく頃
左の肺を半分切り取られた僕は
病院のベッドの上で考えたものだった
「あと二か月もすれば
草いきれにむせかえる裏山の小道を
もう一度自由に歩くことができる」と


歳月は
ただ
過ぎ去るために
あるかのように

2

お前は思い出さないか
あの五分間を
五分かっきりの
最後の
面会時間
言わねばならぬことは何ひとつ言えず
ポケットに手をつっ込んでは
また手を出し
取り返しのつかなくなるのを
ただ
そのことだけを
総身に感じながら
みすみす過ぎ去るに任せた
あの五分間を
粗末な板壁のさむざむとした木理
半ば開かれた小さなガラス窓
葉のないポプラの梢
その上に美しく
無意味に浮んでいる白い雲
すべてが
平然と
無慈悲に
落着きはらっているなかで
そのとき
生暖かい風のように
時間がお前のなかを流れた


3

パチンコ屋の人混みのなかから
汚れた手をして
しずかな夜の町に出るとき
その生暖かい風が僕のなかを流れる
薄い給料袋と空の弁当箱をかばんにいれて
駅前の広場を大またに横切るとき
その生暖かい風が僕のなかを流れる

「過ぎ去ってしまってからでないと
それが何であるかわからない何か
それが何であったかわかったときには
もはや失われてしまった何か」

いや そうではない それだけでは
ない
「それが何であるかわかっていても
みすみす過ぎ去るに任せる外はない何か」

いや そうではない それだけでは
ない
「まだ来もしないうちから
それが何であるかわかっている何か」


4

小さな不安
指先にささったバラのトゲのように小さな
小さな不安
夜遅く自分の部屋に帰って来て
お前はつぶやく

「何ひとつ変わっていない
何ひとつ」

畳の上には
朝、でがけに脱ぎ捨てたシャツが
脱ぎ捨てたままの形で
食卓の上には
朝、食べ残したパンが
食べ残したままの形で
壁には
汚れた寝衣が醜くぶら下がっている

妻と子に
晴れ着を着せ
ささやかな土産をもたせ
何年ぶりかで故郷へ遊びにやって
三日目


5

お前には不意に明日が見える
明後日が・・・・・
十年先が
脱ぎ捨てられたシャツの形で
食べ残されたパンの形で

お前のささやかな家はまだ建たない
お前の妻の手は荒れたまま
お前の娘の学資は乏しいまま
小さな夢は小さな夢のままで
お前のなかに

そのままの形で
醜くぶら下がっている
色あせながら
半ばくずれかけながら・・・・・

6

今日も
もっともらしい顔をしてお前は
通勤電車の座席に坐り
朝の新聞をひらく
「死の灰におののく日本国民」
お前もそのひとり
「政治的暴力に支配される民衆」
お前もそのひとり

「明日のことは誰にもわかりはしない」
お前を不安と恐怖のどん底につき落とす
危険のまっただなかにいて
それでもお前は
何食わぬ顔をして新聞をとじる
名も知らぬ右や左の乗客と同じように

叫び声をあげる者はひとりもいない
他人に足をふまれるか
財布をスリにすられるか
しないかぎり たれも
もっともらしい顔をして
座席に坐っている
つり革にぶら下がっている
新聞をひらく 新聞を読む 新聞をとじる

7

生暖かい風のように流れるもの!

閉ざされた心の空部屋のなかで
それは限りなくひろがってゆく

言わねばならぬことは何ひとつ言えず
みすみす過ぎ去るに任せた
あの五分間!

五分は一時間となり
一日となりひと月となり
一年となり
限りなくそれはひろがってゆく

みすみす過ぎ去るに任せられている
途方もなく重大な何か
何か

僕の眼に大写しになってせまってくる
汚れた寝衣
壁に醜くぶら下がっているもの
僕が脱ぎ 僕がまた身にまとうもの





引用があまり長くなるので、ところどころ(中略)というのをうまく使って切りぬけようと思ったのだが、結局それができなかった。この詩は、切れないと思った。いいところだけつまんで短くできるような詩ではない。
この詩は、1950年から1954年、朝鮮戦争の進行していた時代を背景にして書かれた詩集「渇いた心」のなかにある一篇。詩のなかで、「死の灰におののく日本国民」とあるのは、1954年3月1日にアメリカの水爆実験に遭遇した遠洋マグロ漁船、第五福竜丸の浴びた大量の放射性降下物を指す。この半年後に、同船の無線長だった久保山愛吉さんが「放射能症」で死亡している。


この詩について、どうだこうだと言うつもりはまったくない。つまり、批評するつもりなどさらさらないし、そんなことはできっこない。
ただ、
僕には、この詩が50年以上も前に書かれた詩であるとはとても思えない。
詩に書かれている、詠われている問題は、いま僕たちが直面している、抱えている問題とまったく同じだ。個人としての僕たちが、あるいは、集団のなかの一人としての僕たちが抱えている問題。ひたすら書き連ねられているのはその問題であって、答えではない。ぼくが好んでこの詩を読むのは、自分の抱えている問題を、自分の今いる場所を、自分の立っている位置を、確認したいためだろうか。





この詩に躓いてしまう理由が、じつはもう一つある。
第2連。「お前は思い出さないか / あの五分間を」の痛切な詩句。
6年ほど前に、僕はほとんどこれとおなじ経験をした。

そのひとのいる病院へ向かう車のなかで、僕はそのひとに会ったら言おうと思っている言葉を何度も胸のなかでくりかえした。それはにんげんとしての務めであるから、言わなければならないとさえ思った。そして、そのひとがいる町の病院に着き、病室へ入ると、見る影もなく痩せたそのひとが、しかし和やかに、以前と同じ言葉で迎えてくれた。そのひとの奥さんや仕事仲間の人も交えて、これは5分間どころではなく、2時間近くも話したろうか。むかし話、仕事の話、家族の話… そして、席を立つ時がきた。
「それじゃ、帰ります」腰を浮かせながら、僕はそのひとに言った。言おうと決めていた言葉は、言い出すことさえできずに。わかっていた。話しながら僕は、そのことを言うことに自分が耐えられないだろうことを。この調子だったらもう一度ここに来れると自分に言い訳をした。だからむしろ、ごく普通のいとまごいをしたに過ぎなかった。

それから十日ほどしてそのひとは亡くなった。もう一度なんて、行く日も決める前に。
「それじゃ、帰ります」と僕が言ったとき、そのひとは僕をずっと見たまま、何も言わなかった。それから、病室を出るまで、そのひとは言葉を発しなかった。だから僕は、そのひとの最後の言葉を憶えていない。憶えているのは、そのひとが最後に僕を見た、2秒か3秒ほどの短い時間の、表情だけ…   

でも今思い出すと、その表情は、とても何か言いたげだったことに気付く。なにか、言いたそうなのだけれど口は動かない。そして今はこう思うのだ、そのひとも、最後に言葉を呑み込んだのではないかと。僕に言いたい言葉があったのに言えなかったんじゃないかと。

だとしたら、最後に伝えたい言葉というのは、発せられない運命にあるのかもしれない。その言葉はついに発せられず、呑み込まれてしまう。そしてそこに残された思いが、亡くなった者と生き続ける者を繋いでゆくのではないか…

しかしそれにしても、
「言わねばならぬことは何ひとつ言えず / みすみす過ぎ去るに任せたあの五分間」の文字を読むたびに、あの表情は、痛恨の思いとともに僕のなかによみがえってくるのだ。
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by kobo-tan | 2011-11-14 21:21 | ものがたり | Comments(0)
2011年 11月 12日

スーパーの商品陳列台


11/07Mon.
衝立があってそれに2本の脚のついた天板がくっついているというかたちの陳列台を4台。
かたちとしてはシンプルだけど、衝立も天板も、その大手をタモの無垢材で巻かなきゃならない。
その天板のほうを巻くタモの加工がけっこう危険だ。

角度がついているので、昇降盤を少し傾けて、80mmのタモをタテ裂きする。

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ヒャーッ、おっかない。


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で、こんなふうになる。

ノコでタテ裂きしたところは手鉋をかけるしかないわけで、4台分となると量もそこそこあり、これが結構しんどい。
夢中になってしばらく削っていると息が上がってくる。

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息が上がってくると、こうやって両手をついて、しばらく息を調える。
それからまたはじめる。

11/8 Tue.
タモをパネルに貼りはじめる。
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22.5°の角度を微妙に調整しながら、少しずつ切っていって、ぴったりのかたちを探す。


11/10 Thu.
天板に貼ってゆく。
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11/11 Fri.
塗装は養生が大変だ。
とくに今回みたいな、大手の無垢だけを塗装するには、本体パネルはほとんど新聞紙でおおわなくてはならない。
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須籐君が、また手伝いに来てくれた。

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オルパステインで着色した後、ラッカー塗装。
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ラッカーの霧でもやっている工房の中。

11/12 Sat.
そして本日、塗装したパーツを組み立てて完成。
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これは今日、大型トラックで島根へ運ばれてゆく。
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by kobo-tan | 2011-11-12 21:54 | 製作過程 | Comments(0)
2011年 11月 10日

うたかた

 


浜田真理子のレーベルは、彼女の歌を出したいというそのためだけの理由で、大手レコード会社をやめてインディーズレーベルをつくられた方(お二人だったと思う)によって運営されています。
なんか、心意気を感じます。
この歌も、とてもいい歌だと思います。


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by kobo-tan | 2011-11-10 00:54 | ものがたり | Comments(0)
2011年 11月 06日

君が気高い孤独なら



昔より声が細くなったなんて言うまい。元春は今も歌い続けているんだから。


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by kobo-tan | 2011-11-06 23:50 | ものがたり | Comments(0)