つくりものがたり

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2012年 01月 28日

彷徨うときにみるものは


ようやく一週間ほど前から仕事に取り掛かっている。薄いMDFでつくるメガネトレイや、タモ材をまわりに張ってゆくスーパーの平台などだ。いずれも旧知の仕事。昨今のこのような状況で、なかなか予算も厳しいようなことになっているので、なるべく手間をかけすぎず、それでいて十分喜ばれるものをとこころがける。今回は数も多いので、それも工夫次第だ。


仕事の合間に、5年ほど前に芥川賞を取った「ひとり日和」という小説を読んだ。すらすらと読めてしまうので、あっという間に読み終わる。それって、いいことなのか悪いことなのか。そういう小説は、いい小説なのか悪い小説なのか。どうなんだろう。

なぜこれに手が伸びたかというと、浅川マキさんがまだ生きていらっしゃるころに出演したFM番組が You Tube にアップされていて、そのなかで、この小説を読んで、今の子たちも昔と同じように心にむなしさを抱えながら生きてるんだなぁと思ったと話してられたからだ。

筋は説明する気も起きないほど、たいしたことは起こらない。だから説明しないが、感じたことを書いてみる。
吟子というおばあさんと、友人のホースケさんというおじいさん、それに二十歳くらいの「わたし」と、はじまってすぐ別れる陽平、そのあと付き合いだしてまた別れる藤田君、そのあいだの微妙な関係のイトちゃん、それに、娘をほっぽらかして中国に行ってしまい、盆と正月に帰ってくる母親。人物はこれだけ。みんな、何もない。 あっけらかんと、何もない。 ただ漂流するのみ。毎日を、頼りない気分のままに、ただ漂う。そんな話をともかく文庫本で169ページ、読ませるんだから、たしかに書き方はうまいのだろう。

石原慎太郎、村上龍、宮本輝、河野多恵子、この四人はこの小説を賞の選考の弁で、ほぼ絶賛した。ひとり池澤夏樹だけが、「うまいけれども、何かが足りない」といって授賞に反対している。彼はこのちょうど二年後の「ポストライムの舟」の選考でも、「うまいことは認める。しかし、みんなこんな内向きでいいのか」と述べた。

正直な感想。これは、「青春ライトノベル」の中の一冊、昨今流行りの「携帯小説」の中の一作だとしたら、なかなかの傑作かもしれない。
しかし、これが芥川賞か?
うまく書けてはいたって、いかんせん、世界が浅すぎはしないだろうか。
人物描写だって、深く見つめることは絶対にしない。もっとくっきりと、その人物のありようを描きだそうという企ては、あらかじめ禁じられているようだ。だから、みんな、影みたい。ふわっと来てふわっと去ってゆく影法師みたいだ。考えてみれば、こんな世界は地獄じゃないのか。夜中に目覚めて、意識はあるのに、手も足も体も動かない金縛りにあっているような、そんな状態と紙一重では。

昔も今も、若さとは漂流するものだろう。
何もわからず、たしかなものはなく、どうすればいいのか迷い、昼も夜もなく、むなしさにとらわれ、楽しみに逃げ込み、友人と泣き笑い、行きつく先もわからないまま、彷徨い歩く。
それが許されている間は。

唐突だけど、ジャクソン・ブラウンが1972年のデビュー作のなかで「SONG FOR ADAM」という歌を歌っている。同じように世界を漂流して、インドで自ら亡くなった友人のことを歌ってる歌だ。
彷徨っている。
とてつもなく彷徨っている。
英語詩が画面に流れるから、その言葉が、いろんなことを伝える。
歌の言葉が、何かを伝える。
聴いていると、何かが伝わる。

「ひとり日和」で、何が伝わるだろう。それが作者の批評だとしたら、なんとうすら寒い世の中であることだろう。


SONG FOR ADAM/JACKSON BROWNE 1972

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by kobo-tan | 2012-01-28 11:51 | | Comments(0)
2012年 01月 21日

信じられない速さで時は過ぎ去る

d0169209_10541971.jpg三拍子の忘れ難い曲をもうひとつ思い出した。

この曲が街で流れている頃、お世話になった恩師を亡くしたばかりの頃だった。

そのひとは、歳が往ってるのにほとんど初心者という何のとりえもないぼくをふたつ返事で雇い入れてくれて、家具作りの仕事を一から教えてくれた家具工場の社長さんで、60歳になる前に、癌で逝ってしまった。


金物屋で買い物をしているときに一度、この曲がBGMで流れてきて、手が止まり、しばらく立ちつくしたことがあった。

この歌が入っているアルバム「Denim」をアマゾンで買って聴いていた時も、最後のこの曲で涙が止まらなくなったことがあった。

こんなテーマは、たとえば演歌ではありそうだけど、こんなにストレートに、POPSで歌われたことはなかったように思う。
自分も五十路を超えた今、この詩と同じ心持で満開の桜を見る。どんな小さなこともおぼえていたいという気持ちが自分にもある。


人生の扉/2007年「Denim」

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by kobo-tan | 2012-01-21 11:31 | 音楽 | Comments(0)
2012年 01月 20日

PIANO MAN

d0169209_1123137.jpgみゆきの三拍子の曲を聴いていて、もうひとつの三拍子の名曲を思い出した。

ビリー・ジョエルについてたくさん知っているわけではないのだけれど、この、ピアノマンは素敵だ。

彼は下積み時代が長かったので、音楽の抽斗が多く、ひとりでビートルズをやってしまってるところがあって、それが彼の、ポップスシンガーとしての魅力だと思うけど、やはり彼の素晴らしさは、ごく普通に生きている、いろんな職業の、名もない市井のひとたちの気持ちを、さらりとすくい上げる詩の素晴らしさだと思う。


ピアノマンもまた、詩がいい。
まるで、アーウィン・ショーの、よくできた、ほろ苦い、短編小説のようだ。
バーテンダーのジョンや、不動産屋のポールや、海兵隊のディヴィ、ウエイトレスや自惚れ屋のマネージャー、
みんな、ここではないどこかを思いながら、酒を酌み交わす。
ビリーのピアノマンが、歌いながら彼らを観察している。
ビリーには、彼らの気持ちがなんとなくわかる。

ピアノマン/1973年



この曲は、1982年の傑作アルバム「ナイロンカーテン」に入っている。
この曲と、4曲目の「グッドナイトサイゴン」では、彼はあたかも社会派の作家のように、鋭い視線で状況を切りとろうとしている。
当時彼はもうすでに超売れっ子のスーパースターだったにもかかわらず、こんな曲を書けるんだということに、学生の頃ひどく感動したものだ。
アレンタウン/1982年


  ぼくらはアレンタウンで暮らしている
  工場が閉鎖され続けるこの街で
  ベツレヘム製鉄所では皆が時間をつぶしている
  書類に記入したり、列に並んだりしながら
  僕らの父親は第二次世界大戦を戦った
  彼らは週末をニュージャージーの海岸で過ごし
  軍の慰問施設で母親と出会い
  一緒に踊ろうと誘ったのさ
  そしてスローなダンスを踊ったんだ
  おかげでぼくらはこのアレンタウンで暮らしているというわけさ
  だけど過酷な労働が強いられ
  今やここで暮らすのも楽じゃない

  ぼくらはここアレンタウンで待ち続ける
  決して見つからなかったペンシルベニアの地と
  先生が残した約束を
  もし一生懸命に働いたら
  もし摂生し続けたら…
  卒業式の面影が壁に掛けてある
  だけどそんなものは決して役には立たなかった
  彼らは何が真実かなんて教えてはくれなかったよ
  鉄にコークス、それにクロム鉄鋼
  ぼくらは今もこのアレンタウンで暮らしている
  だけど彼らが石炭を全部掘り起こしてしまった
  そして組合の連中は逃げて行ったのさ

  だけど子供にもチャンスは与えられた
  せいぜい親と同じ程度の人生は送れるだろうと
  だけどそこに辿りつく前に何かが起こった
  連中がぼくらの顔にアメリカ国旗を投げつけたんだ
  今もぼくらはアレンタウンで暮らしている
  善人を落ち込ませるのは易しくはない
  だけど今日、ぼくは起き上がる気力さえないのさ…



  
  
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by kobo-tan | 2012-01-20 12:56 | 音楽 | Comments(0)
2012年 01月 19日

中島みゆき 

d0169209_20181541.jpg
で、
いろんなひとをとっかえひっかえ聴いた後は、
結局いつもこのひとの歌に帰ってくる。

やっぱりこのひとは特別なのだ。


どう特別かということをいっぱいいっぱい説明してわかってもらおうとは思わない。
特別だということをわかってるひとに説明はいらないし、説明したからわかるというものではない。
このひとは詩人なのだ、とか、このひとのうたは文学なのだ、なんて言ってみたってしかたない。
特別だとわかるだろう人は、彼女の歌を聴けばわかること。

森田童子と中島みゆきは同年だ。
その表現の違いは、たとえば、「狼になりたい」と「世情」を聴くだけで十分だ。
森田童子は歌をやめ、中島みゆきは歌い続ける。
身も蓋もなく言ってしまうなら、童子は弱く、みゆきは強かった。
どう強かったかは、初期の数作品を聴くしかない。
「ありがとう」や「愛していると云ってくれ」や「親愛なる者へ」や「生きていてもいいですか」をくぐりぬけたんだから、強くないわけがない。





森田童子は、理解してほしかったのかな。
やはり、愛されたかったのか。
中島みゆきは理解されないことを怖れていない。
うまく歌おうとも思っていない。
ただ、歌いたいことがあれば、彼女は歌う。
彼女は、谷川俊太郎との対談で、どこの誰よりも、自分が自分をいちばん好きなのだ、
自分の嫌いなところもいっぱいあるけど、いいところも悪いところもひっくるめて全部好きだと語っている。


中島みゆきの歌はすぐに削除されてしまう。
辛うじてyoutubeに残っている、これも「ありがとう」からの傑作。

走り出せば間に合うだろう 
飾り荷物をふりすてて、
街に 街に 挨拶を 
振り向けば ドアは閉まる





ふるさとは 走り続けたホームの 果て
たたき続けた 窓ガラスの 果て


故郷と都会の緊張関係がなくなってしまったのは、1980年代のことではなかったろうか。
むかし多くの若者が、仕事を求めて、あるいは夢を実現させるために、故郷を出て都会へ向かった。
故郷を愛し、そして故郷を憎んだ。

高度成長の時代が終わり、1980年代は、情報と虚飾と消費のほうへと比重が移っていく。
ジャパン アズ ナンバーワンと言われ、金利は上がり、バブルへと突き進む。
経済的にも社会的にも、日本はひとつのピークだった。

倉本聡は故郷と都会の問題を好んで描いてきた作家だ。
走り続けたホームの果て、たたき続けた窓ガラスの果てにある、地方出身者のこころの中の故郷を彼はよく描いた。
「北の国から」の中で彼は何度か中島みゆきの歌を使っている。

「ホームにて」というこの名曲にえも言われぬ感銘を受けるのは、やはり1980年以前の時代の雰囲気をおぼえている世代だろう。
「故郷」という言葉の意味するものも変わった。
その言葉を軸にして、われわれ日本人のこころがどういうふうに変質していったのか、ぼくらはなにを得て何を失ったのか、
それをものすごく知りたい。


(■ からあとは2014年5/5に加筆しました。)
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by kobo-tan | 2012-01-19 21:15 | 音楽 | Comments(0)
2012年 01月 19日

夢さりし後  森田童子

d0169209_1044556.jpg昨日、浅川マキを書いていて森田童子を思い出し、彼女を取り上げないわけにはいかないという気持ちになった。

森田童子は、Wikipediaを参照すると、1952年生まれ。 1972年頃から歌い始め、1975年、アルバム「グッド・バイ」シングル「さよならぼくのともだち」でデビュー。 1983年までに、アルバム7枚、シングル4枚をリリースしたが、同年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく、活動を休止した。

そう、彼女は引退を宣言せずに、歌うことをやめたのだ。
ということは、もう、歌えなくなったということだ。 それが、かなしい。

彼女の歌は、ほとんどすべて、感傷である。
過ぎ去った過去、かなわなかった夢、失ったものへの感傷であり、悔恨である。
「ぼく」というよわよわしい一人称で語られた、かすかな問いかけと、純粋さへの愛惜である。

ゆえに甘美なのだ。

時代とか社会というものは、結局のところ現象であり、儚く、頼りないものであり、その首根っこをとっ捕まえるなんてことは、できないものなのに、
彼女の繊細な魂は、そんな儚いものに切り結びすぎた。
彼女は一度、時代というものから離れて、自分というものに立ち返るしかなかったのに、
彼女はそうしなかった。 それがかなしい。

ヘルマン・ヘッセが「デミアン」の前書きの最後にこう述べている。
「われわれはたがいに理解することはできる。
 しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない」


彼女の歌の中では、この歌がやはりいちばん美しいと思う。
彼女の素晴らしさが、すべてこの歌の中にある。
みんな夢でありました/1980「ラストワルツ」



このピアノのイントロが聞こえてくると、どうもいけない。
美しき明日についても語らず。
せめて最後に、ラストワルツ。




この歌あたりが、彼女の思いの限界であったのか。
かつて、火炎瓶闘争など日本共産党の武装方針について示した秘密出版物に「球根栽培法」という本があった。(Wikipedia「山村工作隊」による)
球根栽培の歌/1983年「狼少年 wolf boy」



You Tubeに、森田童子をめぐる貴重なドキュメント「森田童子 ラストワルツ『夜行』①~③」がアップされています。
貼り付けができないのが残念ですが、関心のある方は必見だと思います。
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by kobo-tan | 2012-01-19 12:30 | 音楽 | Comments(0)
2012年 01月 18日

アンダーグラウンド 浅川マキ




d0169209_9413118.jpgアンダーグラウンド、当時はアングラと言っていた。
でもアングラはマスコミがつくった言葉で、アンダーグラウンドとは違うとマキさんは言う。いまはもう聞かないことば。


2010年1月17日、ライブで名古屋市に滞在中、宿泊先のホテルで倒れているところを発見され、病院で死亡が確認された。享年67歳。死因は急性心不全とみられる。
浅川マキは、突然亡くなった。
それも、彼女らしいという気がする。


浅川マキ
1967年デビュー
新宿
町の酒場
ジャズ
酔っ払いの喧嘩
喧騒と闇と夜のしじま
寺山修司
文芸坐ルピリエ大晦日連続定期公演

「銀巴里に寺山修司さんが見にいらしたの。なんか変わったのがいるよと。で、顔もなんか、黒人とのハーフだと思ったみたい」

あの時代はなんだったのですか、と森田童子が歌った「あの時代」
あの時代はなんだったのだろう。
山田洋次の1975年の映画「同胞」(はらから)までの、あの時代。

You Tube に、FM NACK5で2007年に行った彼女のロングインタビューが5本、アップされている。これは消されてしまう前に聞いておくべき。貴重な、浅川マキの話がいっぱい聞ける。そしていろんなことを、考えさせる。必聴。



裏窓/1969年  詩・曲 浅川マキ



ふしあわせという名の猫/1970年  詩 寺山修司



それはスポットライトではない/1976年 灯ともし頃MAKI Ⅶ 日本語詩 浅川マキ
このブログの2011年10月09日の記事に、Beth Orton が歌ったこの曲と、マキさんの詩を載せています。
このバージョンは1977年京大西部講堂でのライブ





文芸坐ルピリエは、ほんとうに小さな地下の黒い空間だった。
俳優のつばが飛んでくるほどに、ステージと客席は近く、粗末なベンチで観客はひしめきあって、芝居やライブを見た。
1979年こけら落とし。 森田童子もここで歌った。 1997年閉館。
彼女は、開館の頃から、閉館まで、毎年大晦日に、ここでライブをやった。
語り/ナイロン・カバーリング /2007年 DARKNESS Ⅳより  日本語詩 浅川マキ  ナイロン・カバーリングとは、例の避妊具のこと。

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by kobo-tan | 2012-01-18 12:01 | 音楽 | Comments(0)
2012年 01月 17日

気高き 大貫妙子

d0169209_1633774.jpg20代半ばから30を過ぎるころまで、いちばん好きな歌手は大貫妙子だった。

1976年の1作目「Grey Skies」から1985年の9作目「コパン」まで、いわゆるヨーロッパ路線が終わるまでのレコードは、当時の貸しレコード屋でほとんど全部借りてきてカセットテープに録音し、テープが伸びてしまうほど聴いた。今でも素敵だが、そのころの彼女の歌はほんとうに素晴らしかった。LPレコードの中は名曲ぞろい。いわゆる捨て曲などひとつもなかった。

楽器を弾きながら歌う人ではないので、singerのイメージが強いけれど、ほとんどすべての曲は、詞・曲とも彼女の作によるものだ。今聴いても、メロディも素晴らしいが、それ以上に、詞がいい。この頃の彼女の歌には、一曲ごとにドラマがある。やわらかく、美しい旋律なのに、張りつめている。歌の中に、ドラマを封じ込めようとしている。そんな、音楽の緊張感が、アルバム「コパン」まではあった。

その次のアルバム「Comin' Soon」は、大枚はたいて自分で買ったのだけど、これは動物・メルヘン路線でがらりと子供っぽくなったような気がしてがっかりした。それで、新作を追っかけることはしなくなった。

そしてそのあと、ぼくの my best singer は吉田美奈子になった。




1982年のアルバム「クリシェ」から「夏色の服」
この頃の、彼女の曲は、気をつけていないとグッときてしまって涙ぐんだりすることになる。

ごめんなさい。貼れなくなったので、リンク。
http://www.youtube.com/watch?v=xRH_v2OYY_Q



これも同じ「クリシェ」から「風の道」
彼女の歌の中で、いちばん好きな曲。
朋友、坂本龍一のピアノ伴奏でうたったライブ・バージョン。

ごめんなさい、削除されてしまいました



最後は、1987年の「Slice Of Life」からシャンソンのカバーで「彼と彼女のソネット」
彼女の歌唱の、気品が、ここにあります。

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by kobo-tan | 2012-01-17 17:12 | 音楽 | Comments(0)
2012年 01月 16日

たゆたう EGO-WRAPPIN'

d0169209_13113863.jpg元気のいい、明るい曲ばかり聴いていると、だんだん、暗く切ない歌が聴きたくなってくる。
なんなんだろう。
知らず知らずバランスを取ろうとしてるのか。 おれはそんなに明るくはつらつとした人間じゃないよって。


EGO-WRAPPIN'といえば「色彩のブルース」。 jazzmenがpopsをやったらこんなんかなという感じが強かったけど、ごく初期の頃の、管楽器が入ってない曲などは、シンプルだけど複雑なアレンジと中納良恵のけだるい歌で、やるせなくせつない。 ああ、人生ままならぬなぁ、なんて感慨が湧いて、だんだん気が遠くなっていきます。


アマイカゲ/ His choice of shoes is ill!(2000)



バード/ His choice of shoes is ill!(2000)

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by kobo-tan | 2012-01-16 13:49 | 音楽 | Comments(0)
2012年 01月 13日

仙波清彦!

d0169209_22471381.jpgいささか音楽ブログのようになってしまったこの「つくりものがたり」、今回もまたどうしてもご紹介したい動画に行きあたりまして、これはもうどうしても音楽好きの方には見ていただきたい念にかられました次第。

パーカッションの仙波清彦師匠です!

小川美潮つながりで、チャクラと並び、これはもうはずせない「仙波清彦とはにわオールスターズ」
総勢五十数名、坂田明から村上ポンタ秀一、渡辺香津美、コバなど豪華ミュージシャンと、もちろん若き美潮が美しい。
1991年のその歴史的コンサートから「水」。 一度聴いたら二度聴きたい。二度聴いてもまた聴きたい。これぞ音楽。





もうひとつは、音楽の楽しさここに極まれリ。T-SQURE30周年記念ライブから、豪華ドラムバトル「オレカマスペシャル」 わたしゃこの場所にいたかった。


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by kobo-tan | 2012-01-13 23:27 | 音楽 | Comments(0)
2012年 01月 11日

美潮!

d0169209_127734.jpgたむらぱんを取り上げた後、大切なひとを忘れてるような気がして、思い出した。
それは僕らの世代の(彼女は僕より一つ上、学年では二つ上だけど)歌姫、小川美潮だった。

彼女がEPIC/SONYから1991年から1993年にかけて出したソロ名義の3作、
 「4to3」
 「ウレシイノモト」
 「檸檬の月」
は、吉田美奈子の「ダーククリスタル」と「gazer」を Japanese Pops の「暗」の頂点とすれば、そのすぐ後に出てきた「明」の金字塔だと、勢いで言ってしまいたい。

いまでも、思い出すと聴く。
一枚聴くと、もう一枚聴きたくなる。
ツヤがあって、のびやかな歌。
おたくっぽく、すごくうまい演奏とアレンジ。
飽きません、いつまでたっても。 古くなりません。とくに
青山純さんのドラムの音の心地よさ!

ヴォーカルの学校で教えたりしてると、アートファニチュアギャラリーの三木君から聞いたことがあるなあ。
あ、三木君は25歳くらいの時から知ってるいい友達で同い年、パスカルズでチェロを弾いてるミュージシャンでもあります。
美潮さんは今も歌っている、もちろん。美奈子さんと同じように。
小さな喫茶店みたいなとこでやったりすることもあるらしい。
工房にいつもいつも夜遅くまでこもってないで、美奈子さんや美潮さんを聴きに行ったりしたい。
ああ、不良になりたい!


ふたつのドア/1993年「檸檬の月」



ウレシイノモト/1992年「ウレシイノモト」

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by kobo-tan | 2012-01-11 12:49 | 音楽 | Comments(0)