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2013年 10月 28日

カバ突板のキッチン 1





各パーツごとにつくっていたカバ突板のキッチンが形になった。

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これにL型のステンレス天板が載り、右側の開口部にシンク、奥の開口部にIHヒーターがくる。

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デッドスペースになりがちな入り隅部分にも棚板をつけて収納できるような工夫。

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IHヒーター下には、ハーフェレのスライドワイヤーバスケット。W900mmで広々。
耐荷重は左右のレールで合計30kg.

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IHヒーター下のカバーはメンテナンスができるように取り外し可能なように細工した。
溝をつけて前にスライドさせる。Wは外枠寸法よりも0.5mm小さめ。

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化粧面からビスを揉めないので、ポケットホールの細工を多用して内側から止める。

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これもポケットホールの細工で背板をジョイントしてゆく。


これから抽斗の仕込みと、アイランドキッチンの仕上げです。
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by kobo-tan | 2013-10-28 01:06 | 製作過程 | Comments(0)
2013年 10月 26日

「セックスしない症候群」についてのコメント



FBでMさんが取り上げた話題、「日本の「セックスしない症候群」をBBCが特集 」に反応してたくさんコメントしてしまった。
ちょっと熱くなりすぎてしまったかもしれないが、正直な気持ち。
KさんとTさんとのかわるがわるのコメントだったが、自分のところだけこっちにもメモしとこうと思います。
自分のいまの偽らざる問題意識です。



Mさんの取り上げた記事

日本の「セックスしない症候群」をBBCが特集
BBCが制作し、10月24日(英国時間)に放送予定のドキュメンタリー番組『No Sex Please, We're Japanese』(セックスはナシ、我々は日本人です)は、日本に住む若い男女のセックスをめぐる状況について扱っている。

ジョークじみたタイトルに騙されてはいけない。これは、日本政府も重大視する非常に深刻な問題だ。「The Observer」に最近掲載された記事でも、日本には「セックスしない症候群」が広まっていると指摘されている。

The Observerの記事を書いたアビゲイル・ハワース氏によると、「日本の40歳以下の人たちは、従来の男女関係に興味を失いつつある」という。「何百万人もの人たちがデートすらせず、セックスにまったく関心を持たない人も増えている。(中略)日本の出生率はすでに世界最低の水準にある。日本の現在の人口は1億2600万人だが、ここ数十年は減少傾向にあり、2060年までには現在の3分の2を下回ると予測されている」

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1970年には35歳から39歳の女性で結婚していない人は5%程度だったが、2005年にはその率は20%程度になっている。

状況は複雑だ。人々はセックスをしたがらないが、問題はそれだけではない。BBC番組を制作したアニタ・ラーニ氏によると、現在も保守的で伝統を重視する日本社会では、子どもを持つ女性には一つの選択肢しか残されていない。それは、仕事を辞めて二度と職場には復帰しないというものだ。これまでの日本人女性はそういう事態に満足していたかもしれないが、現代の女性たちはそうではない。

「日本はアジアの国だということを思い出す必要がある。表面的には現代的だが、そこに暮らす人々は保守的なのだ。日本に行けば、そこら中で利用されているハイテク技術に圧倒されるだろう。しかし、日本人の生活を深く観察していくと、人々は伝統的で、結婚した女性は家事と子育てに専念するものと期待されていることがわかる。女性が出産して仕事を辞めた後、再び働き始めるための仕組みが整備されていないのだ。これは大問題だ」と、ラーニ氏は述べる。「この世代の日本人は、『セックスしないこと』を選択したが、これは日本でしか起こりえない奇妙な現象だ」

特に重要な問題として、日本の女性と男性がそれぞれ非常に異なる人間に変化しつつあるということが挙げられる。ラーニ氏によると、取材した女性たちは「非常に積極的な」人たちで、男性たちよりも仕事のスキルが高かったという。だが、そうした女性たちが社会で活躍していく一方で、自分の殻に閉じこもり、主導権をとりたがらない男性たちが出現している。「言ってみれば、男性たちは去勢されているが、それは彼ら自身が望んでのことだ」とラーニ氏は述べる。
(記事の後半は略)



これについてのコメント

■ コレものすごく根源的で重大なことだと思います。こういうことに自覚的にならないと気が付いたらどうしようもないほど変質した社会になっていたということになる。こういう現象が起きるということはやはりわれわれが暮らしている世の中の流れがどこか狂っているんだという認識をまず持たなければ何も変わらないと思う。うかうかしてる場合じゃないと思います。下の対談見るとそういうこと痛感します。
https://www.youtube.com/watch?v=k96hWzha4os



若者のセックス離れは「イタさ」回避のあらわれ?
www.youtube.com  (以前一度取り上げたビデオニュースドットコムの対談です)


■ この件について世間はいわゆる少子化問題として、このまま低出生率がつづくと人口が減り社会が成り立たなくなるから何とかしようとその現象面だけ見てあわててるところがあると思いますが、とてもその程度のことではなく、セックスをするとか子をつくるとかは人間の本性に関わる問題で、僕ら日本人が戦後約70年かかって一丸となって推し進めてきた資本主義、高度消費社会がもうすでにここまで人間を変質させてきたということで、これは先進国共通の問題でありながらも、日本社会のもともとの特色と結びついてここ日本においてもっとも顕著な問題となっているのだと思います。
これを放置したら、戦争は起きなくとも人間社会が内側から滅びるというくらいの問題で、この退廃は怖いと感じます。BBCのディレクターもそういう直観が制作動機になっているんじゃないでしょうか。仏文学者の鹿島茂さんの新聞記事や本を読んでからこれはただ事じゃないと考えるようになりました。


■ それだからどうこうすればよいなんてことはまったくわからないのですが、何か制度的なものを少しいじって出生率が少しでも回復すれば、という次元のことではないような気がするのです。
佐藤優氏の本を今読んでいるので、彼の言葉を借りますけど、情勢論の問題ではなくて存在論的な問題、人間はそもそもどういう存在かということに関わる、現代文明が抱える根深い問題だと思うのです。人間は反省を迫られていると。
情勢論的に対処してもとくに若者の抱える閉塞感はなくならないと思うし、そういう哲学を持った思考を土台にして何かをはじめる動きが出てこなければ、大局的には変わらないと思うのです。ちょっと抽象的でうまく言えていないと思うけれど、高度消費社会の固定化した社会通念の中で幾世代もの時間が過ぎてしまうと、若者と、語るべき共通の言葉すらなくなっていくんじゃないかと危惧しています。
学校で、道徳のないものが道徳を説き、面倒だからと現代史すら教えない、教える力のない学校教育のなかで幾世代かが過ぎてしまう。そんなことが複雑に絡み合っている、これは問題なんだと。


■ 個人的なことを書きますが、僕は35で結婚しましたが、それは「愛」に突き動かされてというより、このままひとりでいると孤独のために死んでしまうんじゃないかと怖れたことがもっとも大きな理由でした。結婚を選ばない人には、選びたいけど選べないのかもしれないし、さまざまな理由があると思うのですが、ひとつたしかに言えることは孤独をさほど怖れていないのではないかということなんです。それが何に由来するのか、ほんとうの孤独の辛さを味わったことがないからなのか、逆に、「愛」の経験がないからなのか、なぜ孤独を恐れないでいることができるんだろうと考えてしまいます。


■ セックスをしたいとか、結婚したいとか、僕なんかはある時期強烈に思いましたし、それは人と関係することで感じるであろう煩わしさなんかよりも大きく強烈でした。それをいま多くのひとたちが強烈には思わないとすれば、その本当の理由を知りたいんです。そこがわからなければ、そういうひとたちとこころからわかりあうということは不可能なんじゃないかと思うのです。

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by kobo-tan | 2013-10-26 02:26 | 社会 | Comments(0)
2013年 10月 24日

召命



召命、という言葉がどういうわけか昨日頭に浮かび、なんとなくこれは「使命」と似たような意味なのだろうとは思ったけれど、
少し気になって深夜帰宅してから第四版の広辞苑で調べてみたけれど載っていない。
おそらくこの前読んだ「通訳ダニエルシュタイン」に出てきたんだろうと思う。
それで今朝、工場に着くとネットで「召命」を検索してみた。


Wikipedia - 召命
召命(しょうめい)ヘブル語(カーラー)、ギリシア語(クレーシス)ラテン語(vocatio religiosa)英語(vocation, calling)ドイツ語(berufung)の訳語。
1.「呼ぶ」「名をもって呼ぶ」こと。
2.聖書の中に多用されている、神の恵みによって神に呼び出されること。
3.今日のプロテスタント教会で、主に神によって呼ばれて神に献身し、伝道者、牧師、宣教師などの教会の奉仕者としての使命を与えられすることを意味する。(calling)
4.宗教改革以降のプロテスタントの理解で、聖職以外の、一般の職業に、神の導きのうちに天職としてつくこと。(Vocation)



自分だけでは自分を支えられない。
自分を支えようと思うことがすでに間違っているのかもしれない。
支えるのではなくて支えられる。
僕はクリスチャンではないけれど、自分にとっての「召命」とは何か、と考えることにその鍵があるような気がする。

2010年10月の内田樹ブログに、召命について響く文章があるのを見つけたので忘れないようにメモ。


声を聴くことについて


朝8時半から講堂で中高部の生徒たちのために奨励。
「奨励」というのは、キリスト教の礼拝の中で、聖句をひとつ採り上げて、それに基づいてお話を一つすることである。
私が採り上げたのは、『コリント人への手紙一』7:24
「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の前にいなさい」という聖句である。
私はこの聖句から「召命について」という奨励を行った。
レヴィナス老師が教えるように、聖句の意味を知るためには、必ず前後の聖句を読まなければならない。
聖句の意味は文脈依存的だからである。
7章は性愛と結婚についての教えが書かれている。
基本的な考えは「夫は妻を離別してはならない。妻は夫と別れてはならない」ということである。
結婚したら、「そのまま」でいなさいというのが聖書の教えである。
与えられた状況でベストを尽くせ、と。
「おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。」(7:20)
それどころでは済まない。
聖書は「奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。」(7:21)とまで言い切るのである。
聖書の教えはまことに過激である。
「奴隷の状態」においても、私たちは神の召命を聴くチャンスがある。
「どこにいても」私たちは私たちにまっすぐに向かってくる「召命」の言葉を聴くチャンスがある。
神がそこにおいて私たちを「召した」ということは、「そこ」に私たちが果たすべき仕事があるからである。
だから、今、ここで、耳を澄ませなさいと聖書は教えている。
神の召命は大音量で響き渡るわけではない。
それはその人ひとりにしか聞こえない。
そうでなければ、それを「召命」と呼ぶことはできまい。
神の召命は微かな波動として、まわりの誰にも聞こえない、私だけが聞き届けることのできるシグナルとして私たちに触れる。
だから、それに注意を傾けなさい。
深く息をして、眼を閉じて、心を静めて、「存在しないもの」からのメッセージを聴きなさい。

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by kobo-tan | 2013-10-24 01:49 | つぶやき | Comments(0)
2013年 10月 21日

平和な時代には人は孤独になるのか







http://www.youtube.com/watch?v=Nq2-_ZMFt1U  貼りつけができなくなったので左でリンク


トニー滝谷
2004年に市川準が監督した映画。 原作は村上春樹の短編。
寂しい映画である。 スタイリッシュな映像が寂しい。坂本龍一の音楽が寂しい。
たぶん年収5千万くらいは稼いでいる売れっ子イラストレーターのトニー滝谷も寂しいし、
洋服を買うことに偏執して死ぬ妻も寂しい。


まるでデッサンのような映画だ。もちろんこういう映画もあっていいと思う。
にもかかわらず、
横移動のカメラで場面を変えていくスタイルや、たびたび人物がナレーションの言葉を呟くことで、
これはリアリズムじゃありません、寓話ですよという信号を送られても、
こんなに洋服を買えるためにはいったいいくらの稼ぎが必要だろうかなんて勘ぐりを起こさせてしまうのは映画の哀しき宿命だろうか。


ネットで探すと、特徴的な映像に関してはエドワード・ホッパーの絵画を引き合いに出している感想もあった。
原作は読んでいないけれどもとても短い話らしく、それをほとんどそぎ落とすことなくむしろエピソードを付け加えたところもあるという。
昔山川さんが撮った「100%の女の子」と同じく、地の文と少しの会話でできたナレーションをそのまま市川流の映像にしたような。


人は何かを失くし続け、どこまでも孤独だ。
それを美しく技巧を凝らして見せられてこっちは何を感じるか、ということ。



アン・サリーの「満月の夕べ」という歌がある。
http://www.youtube.com/watch?v=gO3geXZoW00&list=RD02oPVL5cYX9XY
静かだがここにはフィーリングではなくたしかにエモーションがある。
そこへ至るためには何がなければいけないのか。
そんなことを考えてしまう。
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by kobo-tan | 2013-10-21 02:38 | つぶやき | Comments(0)
2013年 10月 19日

ギターのための12の歌





家具のことに興味を持ってここを開いてくれる方には申し訳ないのですが、
毎回書けるほど家具の話題もなく、かつ興味あることは分け隔てなく書きたいと思ってるもんですから、
話がなんの統一もなくあっち行ったりこっち行ったりします。

しかもけっこうな、いやかなりのネット中毒だと自覚しています。
きょうもひょんなことから素敵なよそ様のブログを見つけてさっそくブックマーク。その中に「武満アレンジのイエスタデイ」
という記事がありました。

ギターのための12の歌、としてビートルズやよく知られた曲をアレンジしたものらしい。
さすがに武満だけあって、静かに格調高く胸に沁みてまいります。
それでこちらにもいただきました。

最後の歌もちょっと捨てがたく。

















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by kobo-tan | 2013-10-19 23:33 | 音楽 | Comments(0)
2013年 10月 17日

粉飾決算





10/1に経済産業省から施行された電気事業会計規則等の一部を改正する省令。廃炉が決定した原子炉も継続して資産と見なし、それにかかる費用にも減価償却を認め、その費用は電気料金に上乗せすることができる。その上、事故であろうがなんであろうが、廃炉に至った理由は問わないという。これによって国は、本来犯罪である粉飾決算を合法化した。またこれにより、極めてリスクの高い事業である原子力発電がノーリスクとなる……


電力事業に関しては特殊な「会計基準」を用いることになっていて、「会計原則」に照らすととんでもないこういう決定も違法性なくとおることになっているらしい。よって国会で審議されることもないというのだ。こんなにも電気は「特別」なのだ。この不公平、よく他産業から文句が出ないもんだ。また、減価償却の対象になることによって現行法内で電気料金にそれを加算することができるというからくり。僕も今まで知らなかったけれども、なるべく騒がれないうちにこんなふうにこっそりと進めていこうという国の姿勢。40年前の社会党だったら絶対に噛みつく代議士がいたはずなんだけど…


あらためて言いたくもないけど、これ本当はとんでもないことですよね!




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by kobo-tan | 2013-10-17 16:50 | 社会 | Comments(0)
2013年 10月 15日

「通訳ダニエル・シュタイン」 上・下 リュドミラ・ウリツカヤ著





d0169209_20264673.jpg2年ほど前から読もうと思っていた本を読み終えた。
現代ロシアの作家、リュドミラ・ウリツカヤが06年に発表し、09年に慎重クレストブックスから翻訳が出た「通訳ダニエル・シュタイン」 上・下。


裏表紙の惹句にはこうある。
ユダヤ人であることを隠してゲシュタポでナチスの通訳を務め、ゲットーのユダヤ人を脱出させたダニエル・シュタインは、逃亡中に寄寓した女子修道院でカトリックの洗礼を受ける。神父となってイスラエルへ渡り、宗派を超えた宗教を目指して教会をつくったが、ユダヤ人からカトリック側からそしてイスラエルからの彼への風当たりは厳しかった……すべての人に惜しみない愛情を注ぎ、弱者のために駆け回り、命をかけて寛容と共存の理想のために闘った一生。

上・下巻合わせて700ページに及ぶ長い物語の中心には、そのダニエルシュタインの一生がある。要約すれば上のようになるのだが、これ以上の要約は不可能。なぜかというと、この本に登場する数多くの人物それぞれに、それぞれの物語があり、それがいつかどこかで絡み合ってくるのだ。


作者リュドミラ・ウリツカヤは「この本は小説ではない、コラージュだ」と言っている。
主人公ダニエル・シュタインには実在のモデルがいる。そして物語の主要な部分はほぼ実話に沿っている。
実在の「ダニエル」の名は、オスヴァルト・ルフェイセンといい、1993年に氏がモスクワ経由でベラルーシに行く途中、ウリツカヤが家に招いて一日を過ごしたことがあり、それは忘れられない一日になったらしい。彼女はその日から13年をかけてこの本を書きあげた。



d0169209_21512810.jpg「ダニエル」の一生を書くにあたり、彼女は膨大な資料を漁り、行く必要のある場所へ行って数多くの人に会い、イスラエルを歩き回った。

彼女はインタビューに答えてこう語っている。
「さまざまな内面的な事情にうながされてこの小説を書くことになりました。それは私の人生でもっともつらい仕事でした。私自身がこの小説を通して変身したと断言できます」




彼女がこの物語を書くにあたって採用した方法が「コラージュ」だった。

d0169209_21173123.jpg写真は、下巻の目次の一部。

こんなふうに、その時その場所での、多くの登場人物の手紙や日記や独白、さらに新聞記事や、掲示板の文句などの集積で、人物ごとの、家族ごとの多くの物語が綴られる。その中に、多くは事実をもとにしているけれども、作者のつくり出した人物、考え出したエピソードが描かれてゆく。そしてそれらの人物と彼らの物語が、どこかで、どの時代かに、ダニエルと、あるいはほかのだれかと交錯するのだ。

だから読む者それぞれに印象に残る人物が違ってくるだろうし、すくい上げる物語も無数にあるだろう。

テーマは、宗教でもあり、人種でもあり、人間の寛容さでもあり、暴力でもあり、罪でもあり、愛でもある。

うーん…
要約はこれ以上不可能だから、あとは以上書いてきたことに興味を感じて実際に読んでもらうしかない。
読んで味わってもらうしかない。
世界はこんなに多様だということがわかり、簡単に判断したり解釈したりできない重いものが残るだろう。




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僕はこの春に、これを読むための準備として、
「私家版・ユダヤ文化論」 / 内田樹 (文春新書)
「ユダヤ人」 / 上田和夫 (講談社現代新書)
「ホロコースト」 / 芝健介 (中公新書)
をそれぞれ読んだ。とくに「ホロコースト」は、ダニエルの第二次大戦中の回想に大いに現実味を感じさせてくれた。


第二次大戦中に殺されたユダヤ人は600万人と言われている。アウシュビッツに代表される絶滅収容所はよく知られているが、収容所で殺害されたのは400万、200万人はほかの手段、主にソ連侵攻後にナチス親衛隊の行動部隊によって現地で射殺されている。数百、数千ではない。万単位の人間をどうやったら射殺できるのか。現地住民にまず巨大な穴を掘らせ、集めたユダヤのひとたちをその縁に並ばせてそれはものすごいスピードでうむを言わせず遂行されたという。狂気の日常としか言いようがない。
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by kobo-tan | 2013-10-15 23:13 | | Comments(0)
2013年 10月 10日

トリマーのおまけ




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愛用のマキタの電子トリマーがだいぶ使い込んでボロっちくなってきてたこともあって、そこへリョウビの調子いいセールスマンが「おまけにこれつけます!」なんて言うもんで、
ついふらっとしてトリマーを買ってしまった。


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こういうのに弱いんだよね。
ま、オマケでこれだけ入ってるんだから切れ味は期待してないけど、なんか困った時に役に立ってくれる可能性はある。

こういうのは眺めてても楽しい。
一個一個実験したりして。
半分は、まー、遊び道具だな。
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by kobo-tan | 2013-10-10 13:40 | つぶやき | Comments(0)
2013年 10月 10日

「自分を律する」ことは可能か?




新聞を読むのは好きな方で、どんなに夜中遅く帰ってもともかくザーッとは目を通す。
でも、新聞読みたくないと思う時もあって、そういう時は夜中の晩飯を食いながら、読みさしている本を読む。
新聞読むより、興味ある本を読んだ方がまだましだとそんな時は思ってる。毎日毎日つまんない記事ばっかり載せやがって、なんて。

昨夜もそう思いながらパラパラめくっているうちに、この記事が目にとまってついつい最後まで読まされてしまった。
10月8日朝日新聞朝刊のオピニオン。


小田嶋さんの話。
つねづね「自分の人生を設計する」なんて言葉にうさんくささを感じてきたので、(なんて、人生設計できないやつが言っても説得力はないけど)
そういう感覚が、「金さえあれば何でもできる」と同じくらい軽薄だ、と喝破した小田嶋さん。ちょっとおれは、よくぞ言ってくれたと胸中ひそかに快哉を叫んでしまったね。
この人生を経ないと生まれない言葉。熟読玩味しました。



中井さんの話。
これもこの方の何十年にもわたる積み重ねあっての深い言葉。襟を正します。
「のみ込みの早い新人ばかりだと人材育成力が急激に落ちる」
「優秀な人間に目をかけすぎると、社員は嫉妬でひねくれてしまう。底辺に手をさしのべることをひいきや差別とは言わない」
「しかし、(服役受刑者の受け皿に)大企業は見当たらない。理由は株主と組合ではないでしょうか。株主は「利益」に結び付かない行為を嫌がるし、多くの企業内労組は、正社員の既得権益を守ることに注力します。


うーん。 鋭い。
ここにも個人と組織の問題がある。





(耕論)生き直すために 小田嶋隆さん、中井政嗣さん


 遠回りが近道なのか、近道が遠回りなのか。人生の成功と転落は紙一重。考え方次第だったりもするが、どん底に落ちても、時間を巻き戻すことはできない。人生はやり直せるのだろうか。やり直しとどう向き合えばいいのだろうか。


d0169209_10172287.jpg ■何かを捨てることから始まる やり直した人、コラムニスト・小田嶋隆さん


 
私は「人生やり直し」を2度経験しています。1980年に大学を卒業して、新卒で入った会社を8カ月で辞めました。辞めて何をするという目標があったわけじゃなくて、ただ職場の不愉快なことから逃げたかっただけです。

 当時、上場企業の正社員というコースから一度外れると、再チャレンジは難しかった。普通の再就職は目指さず、3~4年アルバイトしていました。放送局のADや小学校の事務をやって、年収200万円以下で暮らしてましたね。

 文章を書く仕事を始めたきっかけは、趣味でやっていたバンドです。ライブハウスで知り合ったんですが、銀行の電算室に勤めながらパソコンの入門書を何冊も書いていた人がいて、「ぶらぶらしてるんだったら、パソコンの本を書かないか」と。それがライターとしての初仕事です。

 「本を書いたことがある」というのが通行証がわりになって、パソコン雑誌から仕事が来るようになりました。80年代半ばはちょっとしたパソコンバブルでしたから、けっこう稼げましたよ。

     *

 <人生の棚卸し> ところが、30歳前後から、アルコール依存が始まりました。30代はまるまる酒浸り。酒が切れるとうつ状態になるので、自殺しないためには酒を飲み続けるしかない。原稿を落とすことが重なり、仕事もかなり減りました。

 最終的に断酒したのは39歳のときです。あまりに体調が悪くて、5日間酒をやめたら、ほとんど眠れず、幻聴まで出た。あわてて心療内科に行くとアルコール依存症と診断されました。「このままだと40代で酒乱、50代で人格崩壊、60代でアルコール性痴呆(ちほう)。もう一生飲まないしかないよ」と宣告された。

 それまでは人と会うのも、音楽を聴くのも、野球を見るのも、すべて酒を飲みながらでした。「酒をやめるというのは、酒のない人生を新たにつくることだよ」と医者に言われて、慣れ親しんでいたことを片っ端からやめた。好きだった音楽も聴かず、野球も見ない。断酒自助グループのアルコホーリクス・アノニマス(AA)では「棚卸し」というんですが、いわば人生をリセットしたんです。

 酒をやめると、膨大に時間が余る。何をしていいかわからない。サッカー観戦にはまったり、自転車を乗り回したり、イグアナを飼ったりした。何かで時間をつぶさなければいけなかったからです。

     *

 <「自律」は勘違い> 私は「やめる」こと以外は何も達成していません。サッカー観戦も自転車もイグアナの飼育も、あくまで時間をつぶすための手段。酒をやめたことで仕事はうまくいくようになりましたが、それは結果であって目標じゃなかった。

 AAでは、最初に「私は、自分では自分の人生をどうにもできない人間であることを認めます」と言わされます。これは一理あって、「自分で人生を立て直せる」と思いこんでいると、依存症からは逃れられない。ビジネス本に書いてあるような「自分の人生を設計する」という感覚は、「カネさえあれば何でもできる」と同じくらい軽薄ですよ。「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、そういう意識があるかぎり、人生のやり直しはできない。

 就職のやり直しにしても、結局は運です。「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。自分がどの仕事に向いているかなんて、実際にやってみなければわからない。

 人生を途中からやり直そうとするなら、まず何かを捨てることです。捨てた結果、その空白に強制的に何かが入ってくる。その「何か」がいいか悪いかは、また別の話ですけれど。私は会社を辞め、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くのものを失いました。でも、代わりに手に入れたものも明らかにある。あそこでやめていなかったら、今のような人生は歩んでいない。どちらがいい人生だったのかはわかりませんが。

 30歳過ぎた人間が、自己を改造するなんて不可能です。もうできあがった人間なんだから。ただ、何かをやめることはできるかもしれない。人生をやり直すには、何かを「目指す」んじゃなくて、「やめる」ことからです。

 (聞き手・尾沢智史)

     *

 おだじまたかし 56年生まれ。IT、政治、社会からスポーツまで、幅広いテーマの切れ味鋭いコラムで知られる。著書に「小田嶋隆のコラム道」「場末の文体論」など。


 



d0169209_102426100.jpg■「落ちこぼれ」が組織を育てる やり直しを手伝う人、千房社長・中井政嗣さん



 山口県の刑務所に窃盗罪で服役した受刑者を採用したのは、2009年12月です。刑務所で面接し、採用したのは初めてのことでした。きっかけは、「受け皿になってくれませんか」という刑務所からの依頼です。出所後、働く場所がないために再犯して刑務所に戻る悪循環が止まらない。犯罪白書によると、11年の刑法犯の再犯率は43・8%で過去最悪を記録。15年連続で悪化しています。

 千房には、実績がありました。約30年前から、不良少年少女を知り合いに頼まれて採用してきました。創業時は雇いたくても人が来ないという事情もありました。店長の昔の写真が、改造バイクにまたがって鉄パイプを振り上げている、なんてこともありました。

     *

 <信頼で劇的成長> 社内では「イメージが悪くなる」といった意見が出ました。「善悪で考えれば善だ」と説得し、「殺人、薬物、性犯罪」は除いて、採用を始めました。

 私は、過去は変えられなくても、未来は変えられると考えています。誰でも信用して寄り添えば、劇的に変化し、成長しました。受刑者を面接してわかったのは、家庭環境が原因で道を踏み外していることです。「紙一重」だと感じました。「何がそうさせたのか」を見極め、社会で改善しないと、犯罪は減らないでしょう。

 ただ、やり直しを手伝うことは、きれいごとだけではすみません。09年から受け入れた人のうち、ほぼ半数は退社しました。

 ある少年は突然、無断欠勤を始め、探しても見つからない。10日後に戻ってきました。店長が泣きながら、復帰の嘆願書を出しました。でも、結局、自主退職しました。別の成人男性は、売上金や経費の管理もしていましたが、パチスロでお金を使い込んで、店のお金に手をつけた上に、知り合いに消費者金融で借金させていたことがわかりました。在職中なので計数百万円を会社と私で立て替えて、懲戒解雇にしました。

 職場には一時、人間不信の空気が広がりました。ただ、大切なのは残った半数は、まじめに働いているという事実です。全国の店長とミーティングを重ねました。多くの店長が「根気良く進めましょう」といった意見を寄せてくれます。私が店長を任命する際の基準は、「こいつに裏切られても腹はたたんな」というものです。

     *

 <人材育成力つく> 世間で言う「落ちこぼれ」を受け入れるのは、実は最高の従業員教育にもなります。

 千房も知名度が上がり、大卒も入社するようになりました。ただ、のみ込みの早い新人ばかりだと、人材育成力が急激に落ちる。逆に、落ちこぼれを採用すれば、手間と時間はかかりますが、上司は人を育てることと正面から向き合わざるを得なくなります。

 また、落ちこぼれは、上司との信頼関係が構築されれば、不器用ながらも懸命に壁を乗り越えようとする。その姿勢をつぶさに見ることが、上司の突破力を高めます。「育てているつもりが、いつの間にか育てられている」という逆説が起こるのです。

 人を育てるときは、組織の底辺に目をかけると問題が起きにくい。優秀な人間に目をかけすぎると、社員は嫉妬でひねくれてしまう。底辺に手をさしのべることを、ひいきや差別とはいいません。「ボトムアップ」が会社の競争力を高めるのです。

 しかし、受け皿企業は中小・中堅がほとんど。今春から飲食、建設、美容業の7社や日本財団と協力し、元受刑者らの就労支援を進めることになりました。ほかにも参加を希望する企業が出ていますが、大企業は見あたらない。理由は、株主と組合ではないでしょうか。株主は「利益」に結びつかない行為を嫌がるし、多くの企業内労組は、正社員の既得権益を守ることに注力します。

 私は企業の存在意義は、社会貢献にあると思っています。「経済」の語源は「経世済民」。「世をおさめて、民をすくう」という意味です。罪を犯しても心から反省し、働く意欲のある人には仕事を提供したい。元受刑者たちが立派に更生して、店長になって、一緒に刑務所で面接してくれる日を心待ちにしています。

 (聞き手・古屋聡一)

     *

 なかいまさつぐ 45年生まれ。中学卒業と同時に乾物屋にでっち奉公。73年に大阪にお好み焼き専門店「千房」を開店し、62店、売上高50億円のチェーンに成長させた。

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by kobo-tan | 2013-10-10 11:09 | つぶやき | Comments(0)
2013年 10月 08日

若いこだま


あまりに、レトロすぎますが・・・

すみません。超個人的備忘録的メモ。ちょっとyou tubeで素通りできないものを見つけてしまったので。
このまま通り過ぎて忘れてしまうのももったいない気がして。
2009年のuploadでまだ残ってるってるってことは、ま、当分削除されるこたあないでしょう。(でもわかんない、NHKものは)


1978年放送のNHK-AMラジオ。当時、平日夜の10:20~11:00にやってたDJ番組「若いこだま」


動画クレジットに1978年3月と書いてあるので、矢野顕子、当時22歳か23歳。
オレは高2から高3になる頃っすねぇ。
聴いてました……

矢野顕子はこのころ天才だと思ってました。あの衝撃的な「Japanese girl」が出てすぐの頃ですから。
いろんな人の曲かけてましたもんねぇ。天才は音楽のジャンルを軽々と飛び越えるんだと興奮して聴いてた。
コルトレーンなんかもかけてたと思うし、フラメンコギターのパコ・デ・ルシアなんかはこの放送で憶えました。
この最終回では、武満徹も番組に呼んだと言ってますねぇ。オレはちょっと忘れてしまいましたが。


この「若いこだま」、この頃、山下達郎がやってて、村上龍がやってて、みんな若くて20代で、譬えはヘンだけど、食い入るように聴いてました。
高校の時、下宿してて、高校のとなりの6人下宿で、夜7時頃晩飯が終わるとみんなそれぞれの部屋に帰ってって、いちおう勉強するわけね。
オレはそれで何するかっていうと、うとうとしながらヘッドホンで音楽聴くか本読むわけ。テレビないからね。
そういう頃だからこの番組はホントに集中して聴いてた気がする。あと、土曜の10時からやってたラジオドラマとか。






矢野顕子衝撃のデビュー作「Japanese girl」発表は76年だから録音時は20歳そこそこ。
A面のバックを務めたリトルフィートのロウエル・ジョージが矢野顕子の音楽レベルに十分こたえることができなかったと詫びてギャラを受け取らなかったらしい。
この民謡アレンジも本領発揮!


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by kobo-tan | 2013-10-08 19:45 | ものがたり | Comments(0)