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つくりものがたり

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2010年 10月 15日

美しさという問題

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美しさは、(美は、だったかもしれません) つくり出すものではなく、生まれるものだという
デザイナー柳宗理の言葉を知ったのはそんなにむかしのことではありません。
どの本の、どのページに載っていたのか忘れてしまいましたが、
この言葉は、気がついたらぼくのなかに住みついていました。

この言葉のどこに惹かれるのか、きのうからつらつら考えています。
「つくり出す」とは文字通り、つくる人がこういうものをつくろうと考えて、
工夫して、がんばって、つくってゆくことでしょう。
そのときひとは、きのうまでより、今日はすこしでも善いもの、うつくしいものを、
つくりだそうとして、精魂を傾けるわけでしょう。

でもこの言葉はどうも、美しさはつくり出せないといっているようです。
「つくり出す」と「生まれる」のあいだには、深い深い断絶があります。
「つくり出す」ということをどんなに努力しても、「生まれる」までとどかない。
そもそも両者は関係のないことでさえあるのかもしれない。

「つくり出す」は他動詞ですよね。それに対して、「生まれる」は自動詞です。
「つくり出す」は、他に働きかける行為であるのに対して、
「生まれる」は、自ずから成る。生まれ出る。「生み出す」のではないのです。

「つくり出す」ためには、つくるひとが美しさというものを知っていなければなりません。
そして、知っていると思っている美しさを、かたちや色に表現するわけでしょう。
もちろんそこには、工夫や努力もいっぱいあるでしょう。
でも柳さんは、そんなのはインチキだと言うんです。

柳さんは、最後まで図面を引かないらしい。
最初はともかくいろんな模型を作ってみて、、
これでいいかな悪いかなと延々とやっているらしいのです。
そして、やっているうちにいろんな恰好がでてきて、
徐々に変化して固まってくるんだと言います。

この「固まってくる」というところが、
美しさが「生まれ」ている頃合いなのでしょうか。
なんだかご飯が「炊ける」みたいな。
ご飯の何十倍、何百倍の時間をかけて。

美しさっていったいどこにあるのでしょう。
がんばってつくったら、そのものじたいに備わってしまうものなのでしょうか。
人類が滅んだ後も、夕日は赤いのだろうかという議論がありますよね。
同様に、見て感じる人がいなければ、美しさもないのじゃなかろうか。

難しい問題になってきた。
とすれば、美しさは、あなたの、ぼくのこころのなかにあるのか。
いや、こころのなかに生まれるのか。
生まれる人もいれば、生まれない人もいるでしょう。感じ方はそれぞれだから。
でもやっぱり、
生まれたら素敵だ。
どうやったら生まれるんだろう。
それはやはり、努力するしかないのだろうか。
そして、生まれてくる美しさを「見つける」ということかな。
見つかるとうれしいだろうな。

こういう問題にはいつも結論はなく、
希望的観測で終わりです。
世の中には、答えの出ない問題や答えが正しいのか正しくないのか検証することのできない問題があります。
そういうものを形而上学といいます。
「考える」ことの果てまできたら、できることは「信じる」ことだけ、でしょうか。

by kobo-tan | 2010-10-15 23:39 | ものがたり


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