2012年 12月 30日
先週でほぼ今年の仕事は終わり、今週はいろいろとやりくりに追われ、気持ちのへこむことなんかもあってブログをしばらくほったらかしにしてしまいました。 前回の無垢フラッシュドアの記事も中途半端でしたが、無事に兵庫のレストランの玄関に納まった模様。できあがりの写真は、Facebookの僕のタイムラインに掲載しました。 去年の3.11以降、あらゆるものが張りぼてに見えるとどなたかが仰っていたように記憶しますが、世の中の推移も自分の暮らしも薄氷を踏むような感触がますます強くなって、 よく見えない明日の中によすがとなるような確かなものを手さぐりしているような状態です。すこし大げさでしょうか。 普段まったく見ないテレビをたまに見たりすると、その根拠のない明るさとテンションの高さがよそよそしく、「少し上」のイメージをつねに振りまいて欲望をあおり、 成長経済の中で機能してきたテレビの役割ももう終わったのではないかとさえ感じるこの頃。消費意欲をかきたてるよりまず、 非正規労働者同士が結婚しても安心して子供が二人持てるような社会システムを整備していく方が先決問題。持続可能な社会イメージを持って、 長いスパンで考え、決定して行かないと、付け焼刃の対処療法ではいずれこの世の中は破たんします。 いろいろなものをつくりだし売買を増やして「豊か」になってきた、高度成長以降のこの国の歩みは、考えてみると、ひととひととのつながりを希薄にし続けてきた年月だったともいえます。 仏文学者の鹿島茂さんがこんなことを仰っています。・・・・なぜ人口が減り続けるのか。カギは「面倒くさい」です。面倒くさいことはいやだ、 楽をしたい、という思いが社会や産業を発展させてきました。でもこれは両刃の剣です。いまや恋愛やセックスが面倒くさいと思うようになった・・・ だとしたら、高齢化・人口減少社会は、少しでも成長していこうとする経済のもとでは必然的な帰結であるのか。この流れは変えることができないのでしょうか。 こんなに大きな問題をこんなところで論じてみても虚しいという思いも湧いてくる。しょせんはなるようにしかならないのだと。 しかし、自分たちをも殺してしまうような核廃棄物の処理方法すら確立していない原発に頼らなくてはならない経済は異常だと思える感性をなくしてしまったら、 信じられる明日はどこにあるのでしょう。子供たちの未来はいつも明るく輝いているべきなのに。 そんなことを思いながらまた来年も薄氷を踏む思いで暮らしていくんだろうななどと考えている年の瀬。 工房も今日で終わり、1月は4日から仕事始め。世の中も暮らしも少しでも良い方へ向かうことを祈りつつ、今年はお開きです。 みなさまどうぞよいお年を。
by kobo-tan
| 2012-12-30 03:58
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