2013年 02月 23日
家具作り、什器つくりの仕事、つくづく「なんちゅう仕事や!」と思う。 二月三月はいちばんの(唯一の?)繁忙期。今月半ばごろからぼくのまわりでも仕事の話が次々と聞こえて来はじめ、 ファックスやメールでこんなのできませんかという図面が続々と届く。聞けば納期は一週間とか十日。見ると棚板何十枚とかつくりやすそうな収納とか、 暇なときだったら、すぐやります!と答えそうなものが並んでいる。やりたいけれども、手は二本、体はひとつしかない。ひと月前に言ってくれれば!と断腸の思いで断ることになる。 仕事を頼む方ももうちょっと考えて、こんな職人の手が空かなくなる時期を選んで発注したりせずに、みんな暇で遊んでる一月とかに出してくれたら、 こちらも助かるし、あちらもやってくれるところがない、と青くならなくてすむし、みんな幸せになるのに、毎年毎年なんで学習しないんだろう、なんて思ってしまう。 どんな組織にもどんなシステムにも保護されているわけではない自営業の個人事業主なんて、仕事が途切れたら失業者みたいなもの。 一方で仕事はいつも平均的に同じ分量で世の中に存在するわけではないので、一年のうちの三分の一は失業者だ。 理想を言えば仕事のある一年の三分の二の労働報酬で親子五人人並みの暮らしができればいいのだけど、当然そういうわけにはいかない。 独立して十年になるけれども、お金の足りた年は一度もない。貯まらず、減るだけ。 どこの国でもそうかもしれないが、日本という国はとくに、組織の力が強い。 なにしろ、長いものには巻かれろ、の国だから、むかしから個の力より、組織の力の方を恃んできた。 だからむかしから、そして成果主義が浸透してきたと思われる現在においてもなお、本人も親も、有名大学に入れるかどうかで右往左往し、 一流企業にはいれるかどうかで一喜一憂する。そこで何をするかよりも、まずどこに入れるかが大きな問題とされる世間の風潮をずっと訝しく思ってきたのだけど、 それは組織の力を恃むゆえだったんだといまになって合点がいく。公務員でも企業でも、しっかりした組織に入って大きな失敗なく無難に務めあげれば、多額の退職金と終身年金が待っている。 お金の話は品がない。だから誰もあまりしようとしない。それは美徳だけれど、毎日切羽詰まったところで生きている人間にとっては避けて通れない。 朝日新聞にいま「限界ニッポン」という特集記事があって、いま社会の底辺で彷徨うひとたちのことが書かれている。毎回この記事は食い入るように読んでしまう。比喩でなく、 この人たちは自分だ、と思ってしまう。他人事ではない。「マクド難民」ということばもここで知った。終夜営業のマクドナルドで、一杯百円のコーヒーで一晩を過ごすひとたちのことだ。 その百円も惜しむなら、派遣先の工場に移動するために乗る私鉄の駅のホームの待合室で寝る。「駅寝」(えきね)というそうだ。 彼らにとって、とにかく体を休めることのできる居場所を確保することは生きていく条件である。駅外や公園では不逞な輩に襲われるリスクがある。だから駅の待合室が開くのを待ってそこで寝る。 しかしそんな生活を続けていては体が持たないから、何日かに一度は、シャワー室のあるネットカフェで一晩を過ごすのが彼らの贅沢であるらしい。 先日の記事に載っていた大阪のその非正規労働者氏は、仕事が減り今は週に三日、月六万円の収入ではアパートは無理、という。 1990年代後半に、財界は「日本型経営の限界」という提言を行い、従来の終身雇用制はこのグローバル経済の中ではもう無理であること、非正規雇用の部分を増やして世界経済の流れに柔軟に対応していくことが必要であることなどを訴えた。(と記事には書いてあった) 組織は、組織の成員に対しては手厚い。非正規雇用者は、ごめん、成員からはずすけど勘弁してね、ということである。正規社員のひとたちは、同じ工場で週三日六万円の収入で働く40歳の非正規労働者のことをあまり考えたくないはずである。無理に意見を求めたら、もしかしたら「自己責任」ということばで自分から切り離すかもしれない。同情したら身が持たないので、彼も同じ人間だ、という感情は徹底的に抑圧されることになるのだろう。 のんびり屋で、少しボーっとしてて、ひとが善く、先々のことを考えるのが不得手で、あまりしゃしゃり出るタイプでなく控えめなニッポンの多くの若者たちには、 かなりの確率でこのような将来が待っている。むしろ、うかうかしていたら必ずそうなる。どこにも入れなかったら、そういうものしか受け皿がなくなってしまうから。 非正規雇用者を雇ったり雇わなかったりすることで何とか生き延びている日本企業があり、そこに雇われることでしか生きるすべのなくなったひとたちがいて、 そういうかれらを平均年収1250万円の朝日新聞の社員記者が取材している。 ■ ■ きょうはべつにこういうことを書こうとしていたんじゃなくて、急な店舗の仕事を断り切れず、一昨日の晩徹夜して、 きのうも政君に手伝いに来てもらってやっと夜中の12時にできあがり今朝いちばんに塗装屋さんにものを入れてきて、 もう体も頭も疲れきってボロボロなんだけどすぐに次の仕事に入んなきゃなんない。でもどうにも動けない、動く気にならない。 こういうとき、ひとはどうやって先に向かう意欲を、次の行動を起こす活力をえているのだろうか。そういうひとたちにインタビューしてまわりたい気持ちになってしまうのだけど、 きょうはこの動画を見て、さてやるか、という気持ちになってきたということをちょろっと書きたかっただけなのだ。 「拝啓父上様」というドラマの最終回のエンディングに流れた森山良子の「手」という曲と、ドラマのエンドロールである。 見てないひとたちには「なんのこっちゃ」の、見ていたひとたちにはおそらくこころに沁みる動画だろう。 倉本聡が久しぶりに東京・神楽坂を舞台に書いたフジテレビの連続ドラマで、時代の流れで立ち行かなくなっている神楽坂の料亭とそこで働く人々を、そこで働く青年・二宮和也の父親探しを軸にして描いた素敵なドラマだった。倉本聡のドラマでは、かわいいけどいかにも気弱でいまいちパッとしない板前見習いの二宮和也のような青年にも、黒木メイサのようなハッとするような美人の恋人ができる。どんな職業の人でも、それぞれにいろんな問題を抱えていても、みんな今日を懸命に生きていて、その視線に差別がない。そして、この素晴らしかった連続ドラマの最終回のエンドロールは、3か月にわたってそこで描かれたそれぞれのひとたちの人生がそれこそ走馬灯のようによみがえってきて、そこに森山良子の「手」という名曲がかぶさった格別な時間だった。歌の2コーラスめにはいったときに画面がモノクロームに変わって右側に「脚本・倉本聡」からはじまるエンドロールが流れ始める。その瞬間、「ああ、これで終わりだ・・・」という愛惜するような気持ちが溢れる。このままずっと、もっと見ていたかった、そんないいドラマ、いい映画のエンドロールの時間というのは、なんとも捨てがたい。 このドラマが放映されたのはもう6年も前のことだ。 その6年の間に、ぼくらの家族には三女が生まれ、新生児仮死で小児ICUの治療を受け、心臓の心室中隔欠損の手術をし、土地を見つけて家を建て、家具をすべて自分でつくり、長女が小学生になりもうじき卒業、リーマンショック以降仕事が減り、やりくりに苦労し続け、ぼくの腹まわりには肉が付き、子供のころ以来の入院で不整脈を治し、頭の白髪はますます増え、何人かの新しい友達を得、何人かの友達を失った。 エンドロールの最後に出てくる演出の宮本理江子さんは山田太一さんの長女である。この前の「優しい時間」、この「拝啓父上様」、そして翌年の「風のガーデン」とこのころ続いたフジの倉本ドラマは毎回欠かさず録画して見た。そのすべてに宮本理江子さんは演出としてかかわっている。倉本聡のドラマを山田太一の娘さんが演出している、というそのことだけで、ぼくは胸がじーんと熱くなってしまう。
by kobo-tan
| 2013-02-23 00:55
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