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2013年 07月 12日

日本人は何をめざしてきたのか?





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日本人は何をめざしてきたのか





第2回 水俣 〜戦後復興から公害へ〜
Eテレ7月13日(土)午後11時~翌0時30分

戦前、日本の植民地・朝鮮半島北部で化学コンビナートや水力発電所など一大コンツェルンを築いた日本窒素肥料株式会社。
敗戦後、命からがら引き揚げた千人を越える社員で水俣はあふれた。終戦のわずか2か月、彼らが中心となり水俣工場の再稼働が始まる。チッソは戦後復興と食糧増産という国策と結びつき急成長。そして戦後11年目の1956年、水俣病は公式に確認されたが、経済成長政策のもと対応は後手に回り被害は拡大。チッソの城下町だった水俣の運命も大きく変わっていく。
復興はなぜ公害へと至ったのか。地域の人々はどのような運命をたどったのか。
社員、患者、市民など様々な人々の証言を通して、水俣の軌跡をたどる。






これは必見です。
日本人は何をめざしてきたのか?

たとえば、「日本国民は、国旗および国歌を尊重しなければならない」(自民党改憲案 第一章第三条ニ項)という文言を、憲法に明記するなどという愚挙を赦すような社会をめざしてきたのか?(そんなことをしたら、卒業式で君が代を歌わなかっただけで逮捕されて刑事犯だ。それは、ファシズム国家ではないですか?)

日本人は何をめざしてきたのか?
意識して、あるいは無意識のうちに、なりふり構わず、何を取り、何を捨ててきたのか?

by kobo-tan | 2013-07-12 10:40 | 社会 | Comments(8)
Commented by 原田 和明 at 2013-07-20 06:59 x
ご無沙汰してます。こちらの記事を拝見して再放送を見ました。被害者のための施設は、ベトナムの枯れ葉剤被害の子供たちが入っている施設とダブってみえました。
登場する関係者の証言にもとてもショックを受けました。水俣の「もやい直し」という言葉を聴いていましたので、被害者を差別してきた人たち、チッソで働いていた人たちなどから、「当時は○○○だと思っていたが、今は×××だと思っている。申し訳なかった。」というような証言が聞けるものと思っていましたが・・・残念ながら現実は厳しかったです。
特に、「わかって継続したのですから確信犯ですよ」とタバコを吸いながら笑って証言していた元官僚の方・・・SPEEDIのデータを公表せず、福島の人たちを無用に被爆させた文科省の人たちの考え方とどこかでつながっているんだろうなと思いました。
廃水が原因だとわかってから、誰か国でも会社の人でも、工場を止められないか検討した人はいなかったのだろうか?と思います。輸入で代替できないか、あるいは国内での石油由来製法の増産を前倒しできないかくらいは検討できたはずなのですが、そんな記録や証言も番組では見る事ができませんでした。
Commented by kobo-tan at 2013-07-21 02:45
原田さん、再びのコメントをありがとうございます。
そうですよね。やはりどなたの口からも謝罪の言葉は聞かれませんでしたね。そのことは、水俣病事件が発生以来持ち続けているもう一つの大きな問題だと僕も思います。いまだに認定の問題はずっと続いているにせよ、公式発見から57年たち、患者さんたちと水俣市民の間の壁もかなり取り払われて感情もおだやかになって来たように思われる今でさえ、患者さんたちの前で相対して心の底から悪かったと詫びるひとはいないように思います。緒方正人さんがずっと仰っていたように、患者さんたちがほんとうにしてほしかったこと、聞きたかった言葉は、お金の話ではなくまずそれだったにもかかわらず…
でもそれはたぶん、水俣だけの問題ではなく、日本人全体の問題、「罪」というものに対する意識、僕らが生きて生活しているということが何に関与しているのか、僕らは何を望み何を望まないのか、僕らは「個」というものを持ちえているのか、いまだに周りの顔色をうかがっているだけじゃないのか。自分の考え、自分の判断というようなものをほんとうに持っているのだろうか。 そんな大きな問題につながっていることだと思うのです。
Commented by kobo-tan at 2013-07-21 03:06
戦争と戦後すぐの時代は、日本人全体が大きな悲しみと苦しみに直面し、社会の不合理や歪を自分の問題として考えはじめた時代だと思います。それは多くの日本人が心から受け入れた日本国憲法に端的に表れていると思います。それが、三井三池に代表される組合運動で挫折し、安保闘争で挫折し、けっきょく勤勉に働いて経済的に豊かになってゆくことで日本人の多くが、敗北感や挫折感を忘れようとしてゆく。水俣病事件もちょうどその時期に重なっています。
Commented by kobo-tan at 2013-07-21 03:46
ひとが何人も死んでいるのに、みんなうすうす工場廃液が原因じゃないかと思っているのに工場を止められない。会社上層部は、細川医師のネコ実験の結果を隠す。排水口を百間から八幡に移す。サイクレーターという無力なものであたかも毒はなくなったというような宣伝をする。これはもう犯罪としか言いようがないですけれども、それで一般の社員や市民は、問題から目を背けてもうこれで収まるだろうと深く考えることから逃げ続けました。
Commented by kobo-tan at 2013-07-21 03:47
番組の中で聞くに堪えない言葉はやはり「確信犯ですよ」とうそぶいた元官僚、それに、やはり言い訳に終始した現社長の言葉でした。これらの人間からは過去の自分を否定する覚悟がなければ心からの謝罪の言葉などでてきません。しかし、いまはもうその職・地位にはいない元社員のひとたちからも出てこないのは、排水を止める、工場を止めるなどという大それたことは平社員にはできっこないし考えたこともない、自分たちにできたのはただ、生活するために働くことだけだったという、やはり自分に対する言い訳の意識がこころを覆っているからだと思う。組合の挫折、安保の挫折は、やはり多くのひとたちに無力感を植え付け、自分らが不合理に関わっていけるのだという「関与」の意識を育てられなかったのじゃないでしょうか。
Commented by kobo-tan at 2013-07-21 04:03
排水が止まるまでのの12年間に田中正造のような人物がひとりも出なかったことは、日本人の国民史としてやはりやはり大きな退行であり汚点だと思います。そのことをみんなが悔やみ、検証する必要があると思うし、教育でも教えるべきなのに、そうなっていないことが、福島でのことに繋がっているのだと思います。
Commented by 原田 和明 at 2013-07-22 06:55 x
たくさんのコメントありがとうございます。ひとつひとつすべてが重い問いかけです。元官僚の証言は確かに聞くに堪えなかったですね。それ以外では「日本人の捨ててきたこと」という意味で、私の印象に残ったのは地元温泉の旅館主の言葉でした。客の減少に対して「被害者がもっとおとなしくしていてくれたら・・・」といっていました。チッソは上客だから会社側には苦情は言えない。そうなると問題解決(客離れ解消)策は「被害者は黙って死んでくれ」ということになる。元社長でもない、一歩間違えば自分が被害者の一人になっていたかもしれない地元の人が今でもそんなことを言われていたことがショックでした。その理屈でいえば「沖縄」も「福島」も被害者が黙っていろということになる。
「問題から目を背けてもうこれで収まるだろうと深く考えることから逃げ続けた」その通りだと思います。野田首相が福島原発事故の収束宣言を出したとき、なんてバカなことを言っているのだろうと思いましたが、その後の展開を見ると、「収束宣言」は「深く考えることから逃げる」ために多くの日本人が望んでいたことだったと今頃になって理解しました。
Commented by kobo-tan at 2013-07-23 11:21
原田さん、僕の高校の同級生でいまRKK熊本放送でディレクターをやっている井上佳子さんという女性がいます。彼女はこれまで、ハンセン病のことや水俣病事件などをずっと追っていて、ついこないだも、水俣病事件の支援者に光を当てた30分の番組を制作しました。(TBS 報道の魂「水俣病・支援者たちの戦い」)http://www.tbs.co.jp/houtama/last/index-j.html  彼女はこれまで、ハンセン病に関する本を2冊、三池炭鉱に関する本を1冊書いています。水俣に関するドキュメンタリーも今後また製作する予定だと言っていたので、その放送がある時は原田さんにお知らせしたいと思います。で、もしよろしければ、僕のメールアドレスまで( kawakami.hideaki@nifty.com )空メールを送っていただけませんか? 本の感想などもお送りしたいと思っています。よろしくお願いします。


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