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つくりものがたり

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2013年 09月 30日

大竹伸朗!



大竹伸朗!_d0169209_21161180.jpg展覧会も行ったことないし画集も本も持ってないけど、なんかずっと前から気になってた人、大竹伸朗。
今日は偶然、その人の動画に行き当たった。ラッキーである。

大竹心労、ああ、なんで「しんろう」がこうとしか変換されない? 心労でなくて伸朗。そんなにみんな心病んでるのか?、現代は。
大竹さんのつくるものはその反対であるのに。

動画はもう10年以上も前のNHKの特集番組。昼に1回、夜に1回見て、2度とも面白かった。





生涯に7万点だか8万点だかの作品をつくったっていうピカソももしかしたらこんなふうだったのかもしれない。
とにかくこのひと、やんちゃで、いつもいろんなもんを面白がろうとしてて、そういう目で世界を見てるからいろんなとるに足らんもんがひっかかってくる。

スクラップブックの中にあった、プラモデルのパーツを切りとった残りのとるに足りないプラスチックの枠。これがいい、っていう大竹さん。ぼくはそれ、ものすごくわかる。
あそこんとこで彼が言ってること、ものすごく共感しますね。それから、覗き岩の食堂。なによこれ、みたいなもんだけど、ぐっとくるんだなぁ。
缶バッジをつくる人生もいいなあ。

このひとはなんか、存在そのものが魅力あると思うな、やっぱし。こういう人に触れると、村上隆も会田誠も松井冬子も、お金とエロとグロに淫した自意識過剰の退廃にしか見えない。

24年前にもう東京はいいから、ともかく東京から出ようって思ったのは、東京にはスキ間がない、どこもかしこも人間の意図が及んでいて、
ほっぽらかされてるどうでもいい空間がないと思ってこりゃあ息がつまると飛び出してしまったんだけども、都市っていうか、人間が意図的につくってきた空間には、
やっぱり作為ばかりがあって、自然さが足りないんだよなぁ。





この間読んだ、鴻上尚史の「ヘルメットをかぶった君に会いたい」という小説に、筑波大学では自殺が多いという話の続きにこんなことが書いてあった。

……けれど、これは、筑波学園都市だけの問題ではない。人工的に作られ、集められた街では、人は死ぬのだ。
ある社会学者の人と話していたのだが、人間は、集まるためには集まるだけの理由が必要だという。
どうしてそこに住むようになったのか?
どうしてそこに街ができたのか?
大きな川のほとりだったり、肥沃な土地だったり、入り江だったり、大きな街と街の中間だったり、土地には必ず、人が住みついた理由があり、つまりは「物語」がある。人は、その「物語」に安心するという。
けれど、新興住宅地には「物語」がない。それは、不動産屋さんの計画だったり、お役人の線引きでしかない。
最近の幼児殺害や親殺しの多くは、この新興住宅地で起こっている。
新興住宅地は、おしなべて、清潔だ。町並みは整然と美しく、クリーンで、整えられている。そして、物語がない。





じつは昨日も、家族で去年辻堂駅前にできたテラスモールへ行ったんだけど、たしかにキレイでキラキラ光っていて人が集まってくるのわかるんだけど、ここにいると疲れるんだよな。
圧迫感があるんです。この空間にはあらゆるものに目的と意図があって作為に満ちている。しかしきれいに、「物語」がないんだな。

街がこの先、こんな場所ばっかりになったら、人はそこに安住できるのかなって思ってしまう。大竹さんの、直島の「落合商店」を見て、なんかこんなことを考えてしまった今日この頃でありました。








by kobo-tan | 2013-09-30 22:55 | つぶやき


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