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2013年 10月 24日

召命



召命、という言葉がどういうわけか昨日頭に浮かび、なんとなくこれは「使命」と似たような意味なのだろうとは思ったけれど、
少し気になって深夜帰宅してから第四版の広辞苑で調べてみたけれど載っていない。
おそらくこの前読んだ「通訳ダニエルシュタイン」に出てきたんだろうと思う。
それで今朝、工場に着くとネットで「召命」を検索してみた。


Wikipedia - 召命
召命(しょうめい)ヘブル語(カーラー)、ギリシア語(クレーシス)ラテン語(vocatio religiosa)英語(vocation, calling)ドイツ語(berufung)の訳語。
1.「呼ぶ」「名をもって呼ぶ」こと。
2.聖書の中に多用されている、神の恵みによって神に呼び出されること。
3.今日のプロテスタント教会で、主に神によって呼ばれて神に献身し、伝道者、牧師、宣教師などの教会の奉仕者としての使命を与えられすることを意味する。(calling)
4.宗教改革以降のプロテスタントの理解で、聖職以外の、一般の職業に、神の導きのうちに天職としてつくこと。(Vocation)



自分だけでは自分を支えられない。
自分を支えようと思うことがすでに間違っているのかもしれない。
支えるのではなくて支えられる。
僕はクリスチャンではないけれど、自分にとっての「召命」とは何か、と考えることにその鍵があるような気がする。

2010年10月の内田樹ブログに、召命について響く文章があるのを見つけたので忘れないようにメモ。


声を聴くことについて


朝8時半から講堂で中高部の生徒たちのために奨励。
「奨励」というのは、キリスト教の礼拝の中で、聖句をひとつ採り上げて、それに基づいてお話を一つすることである。
私が採り上げたのは、『コリント人への手紙一』7:24
「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の前にいなさい」という聖句である。
私はこの聖句から「召命について」という奨励を行った。
レヴィナス老師が教えるように、聖句の意味を知るためには、必ず前後の聖句を読まなければならない。
聖句の意味は文脈依存的だからである。
7章は性愛と結婚についての教えが書かれている。
基本的な考えは「夫は妻を離別してはならない。妻は夫と別れてはならない」ということである。
結婚したら、「そのまま」でいなさいというのが聖書の教えである。
与えられた状況でベストを尽くせ、と。
「おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。」(7:20)
それどころでは済まない。
聖書は「奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。」(7:21)とまで言い切るのである。
聖書の教えはまことに過激である。
「奴隷の状態」においても、私たちは神の召命を聴くチャンスがある。
「どこにいても」私たちは私たちにまっすぐに向かってくる「召命」の言葉を聴くチャンスがある。
神がそこにおいて私たちを「召した」ということは、「そこ」に私たちが果たすべき仕事があるからである。
だから、今、ここで、耳を澄ませなさいと聖書は教えている。
神の召命は大音量で響き渡るわけではない。
それはその人ひとりにしか聞こえない。
そうでなければ、それを「召命」と呼ぶことはできまい。
神の召命は微かな波動として、まわりの誰にも聞こえない、私だけが聞き届けることのできるシグナルとして私たちに触れる。
だから、それに注意を傾けなさい。
深く息をして、眼を閉じて、心を静めて、「存在しないもの」からのメッセージを聴きなさい。


by kobo-tan | 2013-10-24 01:49 | つぶやき | Comments(0)


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