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つくりものがたり

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2013年 12月 07日

信じるもののために



キリスト教の開祖パウロ(サウロ)はイエスの直弟子ではなく、最初熱心なユダヤ教徒でキリスト教徒の迫害者だった。「私はこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです」と自分でも告白している。パウロはキリスト教徒を探し出し縛り上げ、殺すために旅をしているときに、天からの光とともにイエスの声を聞く。「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」 「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」

それからパウロは回心し、キリスト教の宣教者となってさまざまの地方と町をまわり、熱心にイエスの教えを宣べ伝えた。今度は自分が迫害され、命さえ狙われながらの旅を続けた。敵を愛し、迫害する者のために祈れと教えたイエスの言葉さながらに。

使徒言行録のなかの「エフェソの長老に別れを告げる」場面でのパウロの言葉は、信じるもののために自分の命を捧げようとする者の魂の言葉であり、闇を照らす光でもある。


パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。 長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。

「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。 すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。 役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。 神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。 そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。 わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。 どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。 わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。 また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。 だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。 人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。 特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。


by kobo-tan | 2013-12-07 22:18 | ものがたり


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