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つくりものがたり

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2015年 02月 11日

在るものを愛すること




Facebookに投稿したものを転載します。


小津安二郎の昭和28年の映画「東京物語」に、なぜこうも国も人種も異なる世界中の人たちがいまもなお感銘を受け続けるのかということをよく考える。東京でパーマ屋を営んでいる杉村晴子の長女、同じく東京で町医者をやっている長男の山村聰、大阪で駅員をやっている三男の大坂志郎もそうだが、かれらはけして広島尾道からはるばる寝台列車にゆられてやってきた老父と老母を邪険にしようなどとは思ってなくて、彼らなりに歓待しているつもりなんだけど、彼らには彼らの仕事と生活があり、「忙しい、忙しい」が口癖で、自分のことでいつもいっぱいいっぱいだ。ここでの、舞台の大女優杉村晴子はいつにもまして自然でリアルで生き生きとしている。健全な生活者として彼らは、今後自分たちの生活と人生に大きく関与することはなくなった過去の存在である田舎の老父と老母に、パーマ屋の寄り合いや、急な患者の診察より優先する意味を見出す心を自然に失ったのである。小津はそんな彼らをまったく批判的にも滑稽にも描いていなくて、「われわれ凡人はいいとここんなもんだよなあ」と、むしろ共感を持って描いている。そして、まさにそれだからこそ、戦争に行ったまま帰ってこない(戦争が終わってもう8年もたっている)次男の嫁である原節子の優しさが輝くのだ。実の子供ではなく血もつながっていない彼女の、義理の老父母に寄せる愛情が、われわれ自身の切実な願いともなって立ち現われてくるのである。





「都会で人並みの生活を送っていくことはまったく忙しい。ここで倫理的であるとは、まずはこの忙しさに抵抗することなのである。私たちはそのことになかなか気付かない。忙しいから、人のことどころではない言う。倫理的たろうとするのは、暇なやつだけに可能な贅沢だと思う。原節子が演じる紀子は、暇な人間では全然ない。彼女は、老夫婦の戦死した次男の嫁であるが、義父母に対して、この上なくやさしく接する。忙しい会社を休んで、義父母を東京見物に連れていく。一部屋だけの自分のアパートで彼らを心からもてなし、乏しい収入から義母に小遣いまであげる。たいそう恥ずかしそうに。この慎ましい物語のなかで、紀子の振る舞いは譬えようもなく偉大に、崇高に見える。
 私たちは、彼女を真似できないだろう。けれども、彼女を真似たいという欲求が私たちに実際に起こらなかったら、『東京物語』はつまらない映画である。絵空事の善人が登場する馬鹿げたテレビドラマは、、私たちに何ら模倣への欲求を掻き立てない。ではなぜ、私たちは紀子を真似たくなるのだろう。紀子のような人間は、ある意味では現実に存在しない。けれども、彼女は少なくとも誠実な生活を求めて生きるあらゆる人間のなかにいる。日々忙しがって生きている老夫婦の子供たちが、まさに私たち自身の姿であるように、紀子もまたよく生きようとする私たちの心の奥にすでに棲んでいる人間だと言える。
 よく生きるとは、どうすることか。私たちはそれをうまく言えない。が、すでにそれを知っていなければ、誰もよく生きようとは思わないのだ。私たちは生活のために忙しく、慌ただしく、あくせくと生きる。いろいろなことに不平を言い、自分を他人と見比べて不運を呪う。紀子もまた忙しく暮らしているが、彼女はけして自分が忙しいとは言わない。あんたも忙しかろうにと、義母から言われると、微笑して静かに否定する。彼女は忙しさに抵抗して生きるが故に、義父母を東京見物に連れていくことができる。しかしこの抵抗は、宇宙を動かす「必然性」への抵抗ではない。逆である。彼女こそ、アランが言っていたあの「必然性」が何であるかを知っている。それに目を開き、ただもうご覧の通りと微笑している。
 「忙しい」と言うことは、所詮身勝手な愚痴にすぎない。紀子にとって、義父母がいること、彼らが上京してくることは、自然の「必然性」の領域に属する。だからこそ、紀子は義父母を愛するのである。「在るものを愛すること」が、彼女にはできる。日々の暮らしのなかで、よく生きるとは何よりもこれだということを『東京物語』は教えている。それは、つべこべと説教することによってではない。この映画のキャメラ自身が、「在るものを愛する」独特のやり方を持つことによってである。たとえば、スリッパのショットはそこから生まれる。並んだスリッパのように横たわる老夫婦のショットが生まれる。紀子は、この映画のキャメラが彼らを愛するやり方で、彼らを愛することのできるただ一人の人間にほかならない。
 だから、紀子の偉大さは、『東京物語』の偉大さとぴったりと一致して切り離すことができない。小津はそういう稀有の人物を、希有の映画と共に創造した。
 お忙しいですか、ときかれて、いいえ少しも、といつも微笑して応えられる人間でいることは素晴らしい。やってみればわかるが、これは簡単なことではない。こういう人間だけが、生活のざわめきの真下で、在るものを愛しているのである。」

……前田英樹著「倫理という力」(講談社現代新書) 第六章 在るものを愛すること  より






by kobo-tan | 2015-02-11 21:14 | つぶやき | Comments(0)


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