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2011年 11月 05日 ( 1 )


2011年 11月 05日

それは自分ではない

d0169209_135113.jpg今朝、このブログのアクセス解析のページを見ていて、不思議な感覚に捉えられてしまった。

アクセス解析とはご存じのように、どのくらいのひとたちがこのブログを見ているかがわかるところだ。このブログなんていつもちょぼちょぼだ(何をもってちょぼちょぼなのか、またそんなこと言ったら見てくださる方に失礼じゃないかという懸念はある)が、なんの偶然が重なったか、解析のグラフが前日より急上昇し、閲覧数が前日の3~4倍の値を示すことがある。

今朝のグラフもちょうどそんな感じだった。
このところ、更新が少ないなという感触をもっていたので、その、急上昇した値を見て、がんばって書かなきゃな、と思った。不思議な感じがしたのはその時だ。

がんばって書かなきゃな、と思ったのは、、自分じゃない感じがしたのだ。

がんばって書かなきゃ、という気持ちは、なんかむこうからやってきた。それは、自分が意識して考えたものじゃない。それを思ったのは自分ではないという感じが一瞬した。

それじゃ、だれがそう思ったんだろう。

心理学のほうでは、自分ではない感じ、その現実感のない感じに陥ることを離人症とかいうのかもしれない。いかにも病的でしんどそうな感じだが、あれはまったくそんなことはなく、むしろ朗らかで、自由な感じだった。だから不思議だったのだ。

そのあとでこういう考えがやってきた。
自分の仕事は、がんばって書かなきゃな、という気持ちを手放さないこと。
すぐ着手する必要はなく、むしろ少しその気持ちを寝かせておいたほうが(熟成させたほうが)いいということもあるが、完全にほったらかしにして、他のものに関心を移してはいけない。
それを思ったのは、こんどはぼくのほうだった。

ぼくは混乱してるだろうか。

最初の、「がんばって書かなきゃな」を原初の気持ちと呼んだらどうだろう。
原初の気持ちがなぜ湧きおこるのか、その理由をいくら追及していっても、最後のところはわからない。そう思ったからそう思ったとしか言えない。だから本当は、自分の中に誰か別の人が住んでいて、いちばん大切な「原初の気持ち」を思ってくれる。そしてそれをぼくに教えてくれる。

それからあとがぼくの仕事というわけだ。

そんなのすべて妄想、言葉の遊びだと言われるかもしれない。でもぼくはこんなふうに考えると自由になれる。他人に頼らず、すべて自分で抱え込んで、自分の力でやり遂げるという考えは正直疲れる。自分なんて何様かよ。そんなたいそうなもんじゃないだろ。手放せるものは手放しちまえ。

そんなに多くを望んだって、おまえの器じゃたかがしれてる。(という声がどっかから聞こえる)
じぶんにできることだけやればいい。
ぼくにできることはたぶん、「原初の気持ち」にしたがって、自分を励ますことくらい。
だいじょうぶ、きっとできる。だって今までも、そうやってやってきたんだから。

そしてもし、その結果が芳しくなくても、自分を責めてはいけない。(もちろんそれには、精一杯やったという思いが支えになるのだけど)うまくいかなかったときは、うまくいかないほうがよかったのだ。

さぁて、こんなことを考えてるのはいったい誰なんだろう。
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by kobo-tan | 2011-11-05 15:32 | ものがたり | Comments(0)