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2011年 11月 14日 ( 1 )


2011年 11月 14日

黒田三郎の夜


d0169209_16224084.jpgこうやって
あなたがこのブログを開いてくれたのが、窓から陽の光が差し込む昼間だったら、ましてや、さあこれからがんばって仕事をしようなどと思っている午前中であったなら、どうぞいますぐこのブログを閉じて、なにもなかったように仕事へと頭をきりかえていただきたい。

これから書こうとしていることは、仕事をしようとやる気になっているひとをなんら励ますものではないし、むしろ読んでくれたそのひとをしばし物思いに耽らせ、たいせつなやる気さえ奪ってしまいかねないものだから。

だからもしよろしければ、夜、今日なすべきことをあらかた終わって、今日一日のことをぼんやりと振りかえる時間に、思い出して開いていただけたら、などと思います。



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黒田三郎の詩を、無性に読みたくなる夜がある。

黒田三郎は、1980年、31年も前に亡くなった詩人である。1919年生まれで、戦争でジャワに行った。終戦の翌年もどってきて田村隆一や鮎川信夫らが活躍した「荒地」の創刊に参加し、その後はNHKの職員をしながら、魂のあえぎ声のような詩を書き続けた飲んだくれの詩人。

もっとも彼らしいと思う詩のひとつを、少し長くなるが、ここに引用させていただく。


ただ過ぎ去るために

1

給料日を過ぎて
十日もすると
貧しい給料生活者の考えのことごとくは
次の給料日に集中してゆく
カレンダーの小ぎれいな紙を乱暴にめくりとる
あと十九日 あと十八日と
それを
ただめくりさえすれば
すべてがよくなるかのように


あれからもう十年になる!
引揚船の油塗れの甲板に
はだしで立ち
あかず水平線の雲をながめながら
僕は考えたものだった
「あと二週間もすれば
子どもの頃歩いた故郷の道を
もう一度歩くことができる」と

あれからもう一年になる!
雑木林の梢が青い芽をふく頃
左の肺を半分切り取られた僕は
病院のベッドの上で考えたものだった
「あと二か月もすれば
草いきれにむせかえる裏山の小道を
もう一度自由に歩くことができる」と


歳月は
ただ
過ぎ去るために
あるかのように

2

お前は思い出さないか
あの五分間を
五分かっきりの
最後の
面会時間
言わねばならぬことは何ひとつ言えず
ポケットに手をつっ込んでは
また手を出し
取り返しのつかなくなるのを
ただ
そのことだけを
総身に感じながら
みすみす過ぎ去るに任せた
あの五分間を
粗末な板壁のさむざむとした木理
半ば開かれた小さなガラス窓
葉のないポプラの梢
その上に美しく
無意味に浮んでいる白い雲
すべてが
平然と
無慈悲に
落着きはらっているなかで
そのとき
生暖かい風のように
時間がお前のなかを流れた


3

パチンコ屋の人混みのなかから
汚れた手をして
しずかな夜の町に出るとき
その生暖かい風が僕のなかを流れる
薄い給料袋と空の弁当箱をかばんにいれて
駅前の広場を大またに横切るとき
その生暖かい風が僕のなかを流れる

「過ぎ去ってしまってからでないと
それが何であるかわからない何か
それが何であったかわかったときには
もはや失われてしまった何か」

いや そうではない それだけでは
ない
「それが何であるかわかっていても
みすみす過ぎ去るに任せる外はない何か」

いや そうではない それだけでは
ない
「まだ来もしないうちから
それが何であるかわかっている何か」


4

小さな不安
指先にささったバラのトゲのように小さな
小さな不安
夜遅く自分の部屋に帰って来て
お前はつぶやく

「何ひとつ変わっていない
何ひとつ」

畳の上には
朝、でがけに脱ぎ捨てたシャツが
脱ぎ捨てたままの形で
食卓の上には
朝、食べ残したパンが
食べ残したままの形で
壁には
汚れた寝衣が醜くぶら下がっている

妻と子に
晴れ着を着せ
ささやかな土産をもたせ
何年ぶりかで故郷へ遊びにやって
三日目


5

お前には不意に明日が見える
明後日が・・・・・
十年先が
脱ぎ捨てられたシャツの形で
食べ残されたパンの形で

お前のささやかな家はまだ建たない
お前の妻の手は荒れたまま
お前の娘の学資は乏しいまま
小さな夢は小さな夢のままで
お前のなかに

そのままの形で
醜くぶら下がっている
色あせながら
半ばくずれかけながら・・・・・

6

今日も
もっともらしい顔をしてお前は
通勤電車の座席に坐り
朝の新聞をひらく
「死の灰におののく日本国民」
お前もそのひとり
「政治的暴力に支配される民衆」
お前もそのひとり

「明日のことは誰にもわかりはしない」
お前を不安と恐怖のどん底につき落とす
危険のまっただなかにいて
それでもお前は
何食わぬ顔をして新聞をとじる
名も知らぬ右や左の乗客と同じように

叫び声をあげる者はひとりもいない
他人に足をふまれるか
財布をスリにすられるか
しないかぎり たれも
もっともらしい顔をして
座席に坐っている
つり革にぶら下がっている
新聞をひらく 新聞を読む 新聞をとじる

7

生暖かい風のように流れるもの!

閉ざされた心の空部屋のなかで
それは限りなくひろがってゆく

言わねばならぬことは何ひとつ言えず
みすみす過ぎ去るに任せた
あの五分間!

五分は一時間となり
一日となりひと月となり
一年となり
限りなくそれはひろがってゆく

みすみす過ぎ去るに任せられている
途方もなく重大な何か
何か

僕の眼に大写しになってせまってくる
汚れた寝衣
壁に醜くぶら下がっているもの
僕が脱ぎ 僕がまた身にまとうもの





引用があまり長くなるので、ところどころ(中略)というのをうまく使って切りぬけようと思ったのだが、結局それができなかった。この詩は、切れないと思った。いいところだけつまんで短くできるような詩ではない。
この詩は、1950年から1954年、朝鮮戦争の進行していた時代を背景にして書かれた詩集「渇いた心」のなかにある一篇。詩のなかで、「死の灰におののく日本国民」とあるのは、1954年3月1日にアメリカの水爆実験に遭遇した遠洋マグロ漁船、第五福竜丸の浴びた大量の放射性降下物を指す。この半年後に、同船の無線長だった久保山愛吉さんが「放射能症」で死亡している。


この詩について、どうだこうだと言うつもりはまったくない。つまり、批評するつもりなどさらさらないし、そんなことはできっこない。
ただ、
僕には、この詩が50年以上も前に書かれた詩であるとはとても思えない。
詩に書かれている、詠われている問題は、いま僕たちが直面している、抱えている問題とまったく同じだ。個人としての僕たちが、あるいは、集団のなかの一人としての僕たちが抱えている問題。ひたすら書き連ねられているのはその問題であって、答えではない。ぼくが好んでこの詩を読むのは、自分の抱えている問題を、自分の今いる場所を、自分の立っている位置を、確認したいためだろうか。





この詩に躓いてしまう理由が、じつはもう一つある。
第2連。「お前は思い出さないか / あの五分間を」の痛切な詩句。
6年ほど前に、僕はほとんどこれとおなじ経験をした。

そのひとのいる病院へ向かう車のなかで、僕はそのひとに会ったら言おうと思っている言葉を何度も胸のなかでくりかえした。それはにんげんとしての務めであるから、言わなければならないとさえ思った。そして、そのひとがいる町の病院に着き、病室へ入ると、見る影もなく痩せたそのひとが、しかし和やかに、以前と同じ言葉で迎えてくれた。そのひとの奥さんや仕事仲間の人も交えて、これは5分間どころではなく、2時間近くも話したろうか。むかし話、仕事の話、家族の話… そして、席を立つ時がきた。
「それじゃ、帰ります」腰を浮かせながら、僕はそのひとに言った。言おうと決めていた言葉は、言い出すことさえできずに。わかっていた。話しながら僕は、そのことを言うことに自分が耐えられないだろうことを。この調子だったらもう一度ここに来れると自分に言い訳をした。だからむしろ、ごく普通のいとまごいをしたに過ぎなかった。

それから十日ほどしてそのひとは亡くなった。もう一度なんて、行く日も決める前に。
「それじゃ、帰ります」と僕が言ったとき、そのひとは僕をずっと見たまま、何も言わなかった。それから、病室を出るまで、そのひとは言葉を発しなかった。だから僕は、そのひとの最後の言葉を憶えていない。憶えているのは、そのひとが最後に僕を見た、2秒か3秒ほどの短い時間の、表情だけ…   

でも今思い出すと、その表情は、とても何か言いたげだったことに気付く。なにか、言いたそうなのだけれど口は動かない。そして今はこう思うのだ、そのひとも、最後に言葉を呑み込んだのではないかと。僕に言いたい言葉があったのに言えなかったんじゃないかと。

だとしたら、最後に伝えたい言葉というのは、発せられない運命にあるのかもしれない。その言葉はついに発せられず、呑み込まれてしまう。そしてそこに残された思いが、亡くなった者と生き続ける者を繋いでゆくのではないか…

しかしそれにしても、
「言わねばならぬことは何ひとつ言えず / みすみす過ぎ去るに任せたあの五分間」の文字を読むたびに、あの表情は、痛恨の思いとともに僕のなかによみがえってくるのだ。
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by kobo-tan | 2011-11-14 21:21 | ものがたり | Comments(0)